田澤純一が実感する変化 18年前の決断から一変…織田翔希にエールと羨望「なんか羨ましさも」

米球界への挑戦を掲げた織田…田澤「頑張ってほしい」
「そういう選択をしたんだな、と。頑張ってほしいと思います」――米国での挑戦を明らかにした横浜高の織田翔希投手にエールを送るのは、ルートインBCリーグ・埼玉武蔵ヒートベアーズの田澤純一投手兼GMだ。18年前、NPBを経ずに米球界へ渡った右腕は、後輩の決断に時代の変化を感じている。
今年の「プロ野球ドラフト会議 supported by リポビタンD」が22日、都内ホテルで開催される。名前を呼ばれるか、呼ばれないか。悲喜こもごものドラマが生まれる場であることは、昔も今も変わらない。
かつては唯一ともいえるプロへの入り口だったドラフト会議だが、時代とともに状況は変化してきた。MLBで活躍する日本人選手が増え、日本に限らず海外でプロを目指す道も選択肢の一つになっている。
花巻東高からスタンフォード大に進学し、今年のMLBドラフトでマーリンズから指名された佐々木麟太郎内野手、そして先日、米国での挑戦を明らかにした織田は、その代表例だろう。
最速157キロの剛腕・織田がどんな進路を選ぶのか、ファンや関係者の間では大きな関心事だった。会見では「最終目標である世界一のピッチャー、世界で活躍するという目標に向け、アメリカの地で挑戦することに決めました」ときっぱり。NPBを経ずに米国での挑戦を目指す決断を表明した。
日本ではなく米国の大学へ進み、1位指名を受けたソフトバンクではなく、8巡目指名のマーリンズ入団を選んだ佐々木にも、応援と期待を寄せる声は多い。海外留学が以前より身近になったことも、日本にとどまらない選択を後押しする一因なのだろう。
織田や佐々木の決断を、田澤は自身が歩んだ道と重ね合わせていた。

2020年に撤廃された「田澤ルール」…波紋を呼んだ米球界入りの決断
2008年、ドラフト上位指名候補だった田澤は、NPB12球団に指名見送りを申し入れ、メジャー挑戦の意思を示した。当時としては異例の決断は、本人の予想を上回る大きな波紋を野球界に起こすことになった。ルール上の問題はなく、自身の思いを尊重した末に選んだ道。それでも、その後に「田澤ルール」と呼ばれる申し合わせが設けられたこともあり、当時は「『頑張ってこい』という感じはなかったですね」と苦笑いする。
いわゆる「田澤ルール」は、ドラフト会議前にNPB12球団による指名を拒否、または指名球団への入団を拒否して海外プロ球団と契約した選手について、海外での契約終了後も一定期間、NPB球団がドラフトで指名しないという申し合わせだった。対象期間は高卒選手が3年間、大卒・社会人選手が2年間とされた。
結局、実際に適用された選手はいなかった。それでも、自分の決断によって生まれたルールが、後輩たちの選択肢を狭めてしまったのではないか――。2020年に申し合わせが撤廃されるまで、田澤は自責の念を抱き続けた。
田澤の決断を巡って起きた議論から18年。若い選手が海外での挑戦を選び、その決断を応援しようという空気は以前より広がっている。田澤にとってさまざまな意味で“傷”が残る出来事ではあったが、当時とは状況が確実に変わってきた。
「そうであったらいいな、と思います。織田君が米国挑戦を発表して、佐々木君が結果的にアメリカを選んで、時代は変わったな、と。『失敗したらダメだ』と考えるのではなく、挑戦することに意味がある。選択肢が増えたことは良かったと思います」

日本プロ野球に押し寄せる変化の波「さらに向上するように」
NPBにも変化の波は押し寄せている。ポスティングシステムを利用して海を渡る若手主力選手は増え、2026年の第6回ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)では、8人のメジャー選手が侍ジャパンのユニホームに身を包み、激闘を演じた。
「サッカーはたくさんの日本人選手が海外でプレーし、そこで得たものを日本に持ち帰ることで、日本全体のレベルが上がったように見えますよね。海外がいいのか、日本がいいのか、どちらを選ぶかは人それぞれだし、どちらが上でどちらが下ということもない。だから、野球もまた、海外でプレーした選手が経験を持ち帰ったり、メジャーよりNPBの方が面白そうだと思わせる仕掛けを作ったり、日本の野球がさらに向上するようにつながるといいと思います」
現在、ルートインBCリーグ・埼玉武蔵に所属する田澤は、今オフから選手兼任GMとして活動する。チーム編成や戦力補強、環境整備などに携わりながら、チームの価値を高め、「プレーしたい」と選ばれる埼玉武蔵を作っていきたいという。メジャーに限らず、台湾、メキシコ、社会人野球などで培った経験が、新たな役割にも生かされていく。
織田、佐々木の話になると「頑張ってほしい」とエールを送った田澤。だが、「うーん……」と少し間を置くと、「正直なところ、なんか羨ましさもあります」と言って微笑んだ。
厳しい視線を向けられた18年前の自分と、背中を押される後輩たち。田澤の決断だけが現在の環境を作ったわけではない。それでも、米国へ進む選択を巡る景色は、18年前から大きく変わった。かつて自ら一歩を踏み出した右腕は、その変化を確かに感じている。
(佐藤直子 / Naoko Sato)