「感覚だけで投げたらできた」 天性の元西武サイド右腕、人生変えた“魔球”シンカー
高校の後輩捕手は後逸し「変な球投げたでしょ?」
かつてプロ野球には“魔球”を投げるピッチャーがいた。西武の球団本部編成グループディレクターを務める潮崎哲也氏は現役時代、右のサイドスローで主に中継ぎ投手として活躍。ライオンズひと筋15年で、82勝55敗55セーブ、防御率3.16をマークした。「いったん浮き上がってから約50センチ沈む」といわれた独特の軌道のシンカーは、“魔球”と恐れられた。潮崎氏自身がその誕生にまつわる秘話を明かす。今回は後編。
潮崎氏は徳島・鳴門高3年に進級した当初、背番号「5」の三塁手で、第2投手の役割も兼ねていた。身長174センチ、体重60キロそこそこの小柄な右の横手投げ。「プロどころか、上(大学や社会人)で野球を続けるつもりもなかった。そもそも高校入学時、テニス部か野球部かで迷ったほどですから」と振り返る。
ところが、高3の春にシンカーを覚えたことで、野球人生が激変する。練習試合で対戦した高松西高の投手が潮崎氏と同じ右のサイドスローで、シンカーを投げていた。味方の右打者は、内角に食い込みながら沈むシンカーに、ボールの上っ面を叩き、図ったように三ゴロ、遊ゴロに打ち取られていく。これを見た森脇稔監督から「おまえもああいう投手を目指せ」と命じられたのがきっかけだった。
握りも投げ方も、全くの独学だった。シンカーの握りを紹介した本も読んでみたが、ピンとこなかった。「新しい変化球を覚える場合、普通は最初に握りを教わるみたいですが、僕は逆。先に『こういう軌道の球を投げたい』というイメージがあり、イメージ通りの回転を与えるにはどう握ればいいかを考えました」と言う。
具体的には「もともとカーブ、スライダーは投げられたので、『カーブと真逆の握りで、カーブと逆方向へひねればいいのではないか』と勝手に想像して投げたら、投げられました」と話すのだから天才的だ。確かに、カーブは外回転でひねりながら、親指と人さし指の間からボールを抜くのに対し、シンカーは内回転でひねり、中指と薬指の間から抜く。とはいえ、普通はそう簡単にいくものではない。本人は「鍛錬に鍛錬を重ねて編み出した球ではない。感覚だけで投げたら、できてしまった」と照れるばかりだ。
実戦で初めてシンカーを投げた瞬間は、劇的だった。なんとノーサインだった。5月の練習試合でメッタ打ちされ、半ばヤケクソで、内角ストレートのサインにうなずいたにも関わらず、サインも決まっていなかったシンカーを勝手に投げた。1学年後輩の捕手は捕れず後逸し、走者は進塁してしまった。後輩捕手は「潮崎さん、変な球投げたでしょ?」と驚きつつ、「でも、いい球やからサイン決めましょう」と提案。急きょサインを決めた新球で、その試合中に三振も奪った。