元中日助っ人はメジャーで最後の左投げ捕手 誕生しない大きな理由は?
ディステファーノ氏は1989年に左投げの捕手として3試合出場
1990年に中日に在籍したベニー・ディステファーノ氏は、左投げながら1989年にパイレーツで捕手として3試合に出場した。MLB公式サイトはメジャーリーグ最後の左投げ捕手であるとし、同氏が捕手を務めるに至った経緯を紹介。また、左投げ捕手が“絶滅”した理由についても考察している。
ディステファーノ氏は1990年、星野仙一監督率いる中日でプレーしたが56試合に出場、打率.215、5本塁打、14打点と結果を残せず、シーズン途中で解雇された。しかし、その前年、パイレーツで歴史的な仕事をしていた。左投げの捕手として3試合に出場したのだ。
きっかけは1988年シーズン終盤のことだった。登録選手枠が40人に拡大される「セプテンバー・コールアップ」でマイナーから昇格したばかりのディステファーノ氏は、翌年のメジャーロースター入りに向けてアピールするチャンスに恵まれた。フィラデルフィア発セントルイス行きの飛行機を空港で待っていた時、話をしていたレイ・ミラー投手コーチがふいに「なぜ左投げの捕手がいないんだ?」と口にした。その翌日、ディステファーノ氏はジム・リーランド監督に「来年はチームの第3捕手になりたいと思う」と直訴したという。
翌年、96試合に出場したディステファーノ氏はその内、3試合でマスクをかぶった(いずれも途中出場)。記事によれば、メジャーリーグの歴史の中でディステファーノ氏が最後の左投げ捕手だという。
左投げ捕手が誕生しない大きな理由として、記事は「右打者が打席に立っていると、二塁送球の際に不利」「三塁送球が困難」「本塁上のプレーで走者にタッチするのが困難」の3点を挙げている。これらのことから、左投げ捕手が球界に存在しないのは「アマチュアレベルで挑戦する人がいないからだ」と指摘。ディステファーノ氏自身も「(メジャーで最後にプレーした左利き捕手という記録は)当分の間は安泰だと思う」と述べている。
59歳のディステファーノ氏は現役引退後、コーチ業に専心してきた。2006年から2020年までタイガースとメッツのファームシステムで指導してきたほか、ヒューストンで子供向けの野球教室を長く開いている。現在、左投げの11歳の子供を、捕手として指導しているというから面白い。
(Full-Count編集部)