「トルネード」→「UFO投法」に進化 非力で投手転向…“個性派”に見出した生きる術

広島で活躍した山内泰幸氏【写真:本人提供】
広島で活躍した山内泰幸氏【写真:本人提供】

1年目の1995年に14勝を挙げて新人王、元広島の山内泰幸氏

 1995年のルーキーイヤーに14勝をマークして新人王のタイトルを獲得した元広島の山内泰幸氏。球団の新人最多勝利となるその成績だけでなく、投球の際に右肘を高く上げる独特のフォームは強烈なインパクトを残した。「UFO投法」と呼ばれて話題になった個性的な投法のルーツとその利点を聞いた。【大久保泰伸】

 広島・尾道商入学時は内野手だったが、非力な打撃で監督から打撃投手に指名されたという山内氏。それが投手人生の始まりだった。

「打撃投手をやったことで、ピッチャーとしての土台ができました。たくさん投げているうちに体力がついたし、肩も強くなった。コントロールも良くなって、感覚的にストライクが取れるようになりました」

 当時は体重が60キロに満たない細身の体格で、ストレートの球速も120キロ台に過ぎなかった。それでも少しでも速い球を投げるために、全盛だった野茂英雄のエピソードに習って、投球動作の際に体を捻る動作を取り入れた。本格的に投手になってからは、体重増と徹底した走り込みにウエートトレーニングも取り入れ、広島県を代表する投手になった。

 高校時代の投球フォームも「UFO投法の原型ではあった」と言うが、当時はまだ「トルネードに近いオーソドックスなもの」で特別、個性的と言うものではなかった。「UFO投法」が完成したのは、日体大に進学後だと言う。

「大学の監督に、体をそんなに捻らなくてもパワーは出せる、と言われたんです。体を捻るよりも、止めたところから一気に力を爆発させる、という考え方。どちらかと言えば、米国的な指導者の考え方というか、スタイルのようです。そこから自分で研究して、いろいろ試しているうちに、右肘を顔の位置ぐらいまで上げてビシッと止める形がしっくり来た。それが完成形になったと言うことです」

直球は140キロ前後「バッターから自分のフォームがどう見えるかを最優先に」

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