伝説の「10・8」決戦にあった舞台裏 巨人スコアラーの地位が高まった日
巨人や2009年WBCチーフスコアラーだった三井康浩氏の転機とは?
プロ野球の世界で当たり前になった光景。そこには必ず“先駆者”がいる。ベンチで選手にデータを提供するスコアラーもその一人だ。Full-Countでは「プロフェッショナルの転機」として、スポーツに様々な立場から関わる人物の経験を掘り下げる。第2回は元巨人でスコアラーや編成担当、2009年WBCのチーフスコアラーを務めた三井康浩氏。その役職の地位を高めたきっかけとなったのは巨人・長嶋茂雄監督(現・巨人終身名誉監督)からの指名だった。
スコアラーと聞くと、どんな仕事を想像するだろうか。決してスコアブックを書く“記録員”ではない。試合や対戦相手を分析し、配球、クセを見抜く。選手に迷いを与えないように、データを提供するのがメイン。三井氏は腎臓疾患など体調面の理由から1978年に巨人に入団後、6年で現役を引退。2軍マネジャーなどを経て、藤田元司氏、王貞治氏、長嶋茂雄氏、原辰徳氏という4人の名将のもと、22年間もスコアラーとして巨人の勝利に貢献してきた。
試合のビデオを撮影し、データを収集する毎日。編集や集計はナイター後から深夜に及んだ。現役時代はスコアブックも書けなかった。配球を読むこともできなかった。自分より年上の原辰徳氏、篠塚和典氏ら偉大な先輩がまだ現役選手として活躍していた時期。緊張の中、毎日が勉強だった。
長嶋茂雄氏の第2次政権が始まった1993年。シーズン中盤までは優勝争いをヤクルトらとしていたが、夏場に失速した。「チームは打てなくて、長嶋監督も投手に対して『1点も取られるな! 取られたら負けだ』と言うくらいでした。打者の調子が落ち込み、打撃コーチの中畑清さんも体調を崩されてしまいまして……中畑さんが私に『お前がミーティングをやれ』と」。その一言から、三井氏が試合前の選手ミーティングで話をすることが始まった。
目の前に座るのは自分よりも実績のある選手ばかり。「最初は正直、悩みました。誰も私の話を聞いてくれなかったので。原さん、篠塚さんからしたら、なんで俺たちがお前の言うことを聞かないといけないんだよ、みたいな感じでしょうから」。三井氏は当時、チーフスコアラーだった小松俊広さんに相談すると「選手が話を聞くようなミーティングをしていないお前が悪い」と指摘された。目の覚めるような言葉だった。