名将も飲み込んだ“甲子園の魔力” 22安打敗戦も元燕右腕「負けたと思ってない」ワケ
元燕・片山文男氏が振り返る2002年の夏の甲子園、日章学園-興誠の一戦
甲子園には“魔物”がいる、とよく言われる。その中でも特に印象に残る試合のひとつが2002年の夏の甲子園の2回戦、日章学園(宮崎)-興誠(現浜松学院・静岡)の一戦だ。ブラジルからの留学生3人を擁した強打の日章学園は22安打を放ちながら9安打の興誠に8-9で敗れ、“史上最多安打敗戦校”となった。
この試合に「6番・投手」で先発してチーム最多の4安打を放ったのが、ヤクルトでもプレーした片山文男氏だ。ブラジル出身で同期の瀬間仲ノルベルト(元中日)とともに来日。当初は甲子園の存在も知らなかったが、「最高でしたね。プロより嬉しいですよ、甲子園って」と振り返るほどにその魅力に取り憑かれた。3年時には最速150キロ右腕としてプロ注目の存在となり、県大会決勝では完投で延岡工を破り、初出場に貢献した。
試合は2回に4点を先制されるも5回に逆転。7回に再びリードを奪われ、8回には瀬間仲に今でも語り継がれる特大2ランが飛び出して土壇場で同点に追いついた。しかし9回、四球に失策が絡みノーヒットで勝ち越しを許すと、その裏には無死一、三塁からのスクイズが併殺となり万事休す。22安打を放ちながら相手先発の今泉直弘投手に完投を許す歴史的な敗戦を喫した。
「負けず嫌いなのに、はじめて勝ち負けにこだわらなかった。僕の中では勝った。負けたと思っていない」。エースは今でもその時の光景を鮮明に覚えているという。試合終了時には全員が涙を流したものの、ホテルに戻るとみんなが笑顔。「悔いがない。全てを出したんですよね」。そして、この試合でもうひとり“甲子園の魔力”を感じていた人物がいた。