「野球人生が変わった」 中学時代は3番手も…エース&4番で甲子園に出場できたワケ
甲子園で白星ならずも「全員野球が日大三島の野球。気持ちが一つになって果たした春夏出場」
「永田監督のおかげで野球人生が変わった」
春夏連続で甲子園出場を果たした日大三島のエース兼4番・松永陽登(まつなが・はると)投手(3年)は感謝の言葉を口にした。6日に開幕した第104回全国高校野球選手権大会。開幕戦で国学院栃木(栃木)に3-10で敗れはしたが、充実した高校野球生活だった。
中学時代に所属していた秦野シニアでは3番手投手で、主に野手として試合に出場することが多かった。高校入学当初もストレートの最速は120キロ台前半。それでも、報徳学園を率いて選抜優勝経験のある永田裕治監督が就任すると「エースなんだから人の2、3倍練習しないといけない」と、はっぱをかけられ“本格派右腕”に成長を遂げた。
最速140キロを超え、カーブ、スライダー、チェンジアップなど多彩な変化球を武器に、昨秋は東海大会を制した。投打の中心として今春は38年ぶりの選抜大会、今夏は32年ぶりの選手権大会に出場。甲子園では白星を手にすることはできなかったが「全員野球が日大三島の野球。気持ちが一つになって果たした春夏出場でした」と振り返った。