長嶋茂雄が“勘違い”も「おお、そうか」 V9戦士・柴田勲氏が証言、結果オーライで下馬評覆した巨人7連覇
V9戦士が「脳裏から離れない一球」 1971年巨人阪急の日本シリーズ第3戦
巨人9連覇の主力でスイッチヒッター初の通算2000安打を放ち、“赤い手袋”の愛称でセ・リーグ最多の通算579盗塁をマークした柴田勲氏。幾多の修羅場を潜り抜けてきたリードオフマンが「プロ野球に入って何が一番印象に残っているかと問われたら、あの場面です」と断言する試合がある。巨人と阪急が激突した1971年の日本シリーズ第3戦(後楽園球場)だ。
あれから51年もの年月が過ぎた。それでも柴田氏は「あの一球は脳裏から離れません」と語る。自身のプレーでの決着ではない。0-1で迎えた9回2死一、三塁。柴田氏は三塁走者として目撃した。完封目前の“サブマリン”山田久志に対し、バッターボックスには“一本足打法”の王貞治。
カウント1-1からの3球目だった。山田の真っ直ぐを王が振り抜くと、打球は弾丸ライナーで満員の右翼席へ突き刺さる逆転サヨナラ3ラン。
柴田氏は躍り上がってホームを踏み、ヒーローの王を迎えるべく待った。王も三塁ベースを回った際にポンと飛び跳ね、両手を挙げて感激を露わにした。
山田はボールの行方を見届けると両膝に手をやり、体を折ってがっくりとうなだれる。さらには腰が落ち、右手で土に触れた後はしゃがんだまま動けなくなった。巨人ナインの笑顔の輪が広がっている本塁付近に背を向けるように。
あと1死をめぐり、たった一球で残酷なほどの明暗が浮かび上がった。
「打った王さんのホームランもチームの喜びもすごかった。僕もうれしかった。だけど山田君の印象の方が強かった。三塁からホームにかえって姿が見えるわけです。走者が全員ホームインしても、それでもまだマウンド上でガクッと崩れ落ちていました。本当にかわいそうで……。今まで野球をやってきて、あれだけ一球の怖さを感じたのは最初で最後かもしれません」