思わず「僕、右でも投げられます」 テスト合格で騒動に…前代未聞の“両投げ投手”
近田豊年氏は1987年の南海テストに参加…左右で投球を披露し合格した
かつて南海に右でも左でも投げるスイッチピッチャーがいた。1987年オフにドラフト外で入団した近田豊年氏だ。NPB公式戦では1試合、1イニングだけの登板。両投げを披露することはなかったが、当時は大きな話題を呼んだ。1990年オフに阪神にトレード移籍し、1991年シーズン限りで引退。現在は関西に18店舗ある「駅前ゴルフスクール」校長を務めている近田氏が、一躍“時の人”になった当時を振り返った。
「僕、右でも投げられるんですけど……」。南海の入団テストで杉浦忠監督に伝えた、この言葉がきっかけで近田氏はいきなり有名になった。「あの時は、何かつい言ってしまったんですよ」。テストには社会人野球「本田技研鈴鹿」の左腕投手として参加していた。「左はオーバースローで140キロ台後半は出ていたと思います。当時、左でそれぐらいの球を投げる人はあまりいないって言われたけど『ストライクさえ入ればな』とも言われていました」。
当初から南海入りを目指していたわけではない。その年は社会人4年目。熱心に見に来てくれていたのはヤクルトのスカウトだったという。「ドラフト下位で指名しますという話だったんですが、枠の問題で指名されなかった。そのヤクルトのスカウトの方が、南海に連絡してくれたんです」。プロ入りを夢見ていただけに、このチャンスを逃したくなかった。左で普通に投げた後、思わず、さらなるアピール材料として「右投げ」を主張したのだ。
「じゃあ投げてみろ」と杉浦監督に言われた。右はアンダースロー。「久しぶりに投げた感じだった。球速は120いくか、いかないかくらいだったと思いますが、ストライクはそこそこ入りました」。結果は見事に合格だ。大阪球場での南海の練習に参加しての入団テスト。当日は報道陣も詰めており、突然の“スイッチピッチャー”出現はニュースとなり、以来、連日のように取り上げられた。「えらいこっちゃと思いました。こりゃあ、右も練習しとかなきゃいかんなってね」。