韓国左腕がまさかの“タイトル辞退” 投手コーチも仰天、登板拒否の裏にあった思いやり

元オリックスのク・デソン【写真:Getty Images】
元オリックスのク・デソン【写真:Getty Images】

藤田学氏は現役引退後、ダイエーやオリックスで指導者の道へ

 元南海投手で通算72勝をマークした藤田学氏は1986年の現役引退後、指導者の道に進んだ。そんなコーチ時代にも、いろいろな人たちとの思い出がある。例えば王貞治監督率いるダイエーの1軍投手コーチを務めていた1999年シーズン。リーグ優勝を成し遂げ、日本シリーズでは中日を4勝1敗で下したが、印象に残っているのはシリーズ第1戦に先発して完封勝利を挙げたエース・工藤公康投手のこと。舞台裏でそのすごさを改めて感じ取ったという。

 当時の藤田氏はブルペン担当だったが、実は工藤をマウンドに送り出す時は心配でたまらなかった。「だってあの日、試合前の工藤の状態が全然よくなかったんですよ。工藤が出ていった後、すぐにリリーフピッチャーを呼んで『何かあったら、すぐいける準備をしとけ』って指示したくらいでしたからね」。その年、最優秀防御率と最多奪三振の2冠に輝いた絶対的エースに対して、そこまで不安視していたのだから、よほどのことだったのだろう。

 だが、すべて杞憂に終わった。それどころか完封勝利のおまけ付き。逆に、その修正能力に驚いたという。「(中日の)先頭打者の関川が、フルカウントからボール球を振ってくれたのも大きかったとはいえ、試合で工藤は変化球を投げることで自分の調子を戻したようにも見えました。特にカーブは腕の振りが真っ直ぐより速いイメージがあるくらいだったのですが、それもうまく使って……。やはり普通のピッチャーとは違うなと思いましたよ」。

 オリックス・石毛宏典監督の下で1軍投手コーチだった2002年と2003年は、2年連続最下位と結果を残せなかった。特に2003年は今もNPBワースト記録として残るチーム防御率5.95、失点927、被安打1534を記録するなど、最悪の成績だったが「いろいろ勉強になりました。そういう成績を経験できたのもね」と藤田氏は言う。

2002年、ク・デソンは最優秀防御率の可能性がある中で登板を“拒否”

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