松井秀喜が“プロの原点”で本塁打 切磋琢磨した先輩との記憶…「飛距離は負けていない」

日米で活躍した松井秀喜氏【写真:荒川祐史】
日米で活躍した松井秀喜氏【写真:荒川祐史】

背番号「55」の後輩、秋広優人についても言及

 巨人、ヤンキースなどで活躍した松井秀喜氏が29日、神奈川・川崎市のジャイアンツ球場で自身主宰のNPO法人「松井55ベースボールファウンデーション」の野球教室を開催。打撃披露では快音を残し、柵越えを披露するなど、子どもたちの心に思い出を刻んだ。会場となったジャイアンツ球場は松井氏が入団した巨人のファームの本拠地。「日々、必死に過ごしていた」18歳の記憶がよみがってきた。

 野球少年、少女の声のトーンが上がった。フリー打撃を披露した19スイング目。松井氏の打球が右翼後方へ飛んでいった。「せっかく来てもらったからね。ほんの一瞬しか会うことができないから『来てよかった』『いい1日を過ごせた』と思ってほしかった」。野球を通じて、夢を持ち続けてほしいと願って描いたアーチだった。

 松井氏も子どもたち同様、白球を一生懸命に追ってきた少年時代だった。星稜高(石川)から1993年に巨人入団。プロのスタートをきった原点の場所で開催した野球教室だった。隣接する室内練習場では、1軍の舞台で戦うことを目指す若手がファームの練習をしていた。松井氏は「ルーキーの時、汗を流していたことを思い出しますね。18歳だった当時のことを思い出すという気持ちになれる。(ジャイアンツ球場に来ることは)いいなと思いますね」と懐かしんだ。

 高校球界を沸かせたスラッガーとして巨人入りしたが、プロの壁は高く、1年目は2軍スタートとなった。当時の末次利光2軍監督のもと、打者としてレベルアップをする日々だった。「どうやったらいいバッティングを見せられるか、守備もどうやったらうまくなるのか……。将来を考えるのに必死だった。自分の野球人生において、2軍で過ごせた時間は貴重でした。いい形で繋がってくれたと思います」

 当時、2軍には大森剛氏(慶大-巨人-近鉄)、吉岡雄二氏(帝京-巨人-近鉄-楽天)といった高校、大学野球界で名前を残した強打者たちがいた。30年前で印象に残っていることを聞くと「末次監督にいろいろと野球を教えてもらったこと。毎日、大森さんと吉岡さんと特打をやった思い出がありますね」と返ってきた。2人の先輩も長距離打者だったため、経験を積んだプロ選手との差を感じていたかと思いきや……「(打球の)飛距離は負けていなかったかな」と笑顔を見せた。「その後、お2人は1軍で活躍された。一緒に汗を流したいい思い出です」と敬意を持ちながら、若き日の記憶を思い起こしてくれた。

背番号55の後継者、巨人・秋広優人にエール

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