まさかの命令「クソ握りで投げろ」 コーチの慧眼…謎の超魔球“バターボール”の正体
川端順氏は1985年に新人王…今年4月の徳島・松茂町議選挙で当選した
現役時代の武器はパームボールの変型「バターボール」。この“魔球”を駆使して、プロ2年目の1985年にセ・リーグ新人王に輝いたのが広島・川端順投手だ。鳴門高、法政大、東芝を経て、ドラフト1位で入団した右腕。現役時代は先発、中継ぎ、抑えもこなし、引退後は投手コーチや編成部長も務め、現在は故郷に戻り、徳島・松茂町議会議員を務める。今なお“フル回転”中の川端氏に野球人生エピソードを聞いた。
川端氏は2023年4月23日に投開票された松茂町議選でトップ当選を果たした。故郷をよくしたい、スポーツで盛り上げたいとの思いで立候補した無所属、新人議員。63歳の新たな挑戦は始まったばかりだが、先の選挙中は「知ってますよ、川端さん、バターボールでしょって、よく言われた」という。「バターボールの方が有名なんだなと思いました」と振り返ったが、実際、その“魔球”は現役当時、インパクト大だった。
ホームベースのところで1回浮いて落ちていく感じ。パームボールの変型の沈むボールに相手打者は戸惑った。空振りが取れる“魔球”だった。「動体視力の勝負なんでね。来ているように見えて、実はバッターボックスより遠いところにあるようにね」。この球種を習得したことで、投球の幅が広がった。「真っ直ぐが生きた。相手は新しい変化球を意識してシュートを無視するようになったので、シュートを投げやすくなった。シュートを投げ出したら、逆にスライダーが効いてきた。ピッチングが面白くなった」。
このボールをマスターしたのがプロ2年目の1985年だった。3月のオープン戦で四球を連発して、2軍落ち。「(1軍投手コーチの)安仁屋(宗八)さんに『もうひとつ、ボールを覚えてこい。お前には落ちるボールがない。横の変化が多すぎる。たまに投げるカーブは高校生並みじゃ、ちょっと指を見せてみろ』と言われた」。指を見せると安仁屋コーチは「手の平は大きいじゃないか」と言い、ボールをポンと投げた。「それを手の平で捕った瞬間に『そのまま投げ返してみい、それでずっと練習せい』って」。それが始まりだった。
川端氏は安仁屋コーチの指令に従った。「今でいうチェンジアップの練習。2軍(練習試合)で“クソ握り”で投げてみろって言われていたので、阪急と南海相手に投げた。すると、何かバッターのタイミングがずれているんですよ」。藤井博2軍監督にも「面白いボールを投げるじゃないか。どんどん投げてみろ」と褒められ、さらに練習を重ねた。