大暴投に騒然…失意の大学生に手を差し伸べた黒田博樹 元巨人左腕の激変した野球人生

インタビューを受ける元巨人左腕・柴田章吾さん【写真:小林靖】
インタビューを受ける元巨人左腕・柴田章吾さん【写真:小林靖】

元巨人育成左腕・柴田章吾さんは来夏、インドネシアで“甲子園大会”開催目指す

 元巨人の育成選手で現在は東南アジアでの野球振興に力を注ぐ実業家の柴田章吾氏は今、一度断念しかけた夢を追っている。6月9、10日にはフィリピン・マニラで野球イベントを行い、来年の夏にはインドネシアの高校生世代を対象にした“甲子園大会”を開催する予定。野球の国際化をさらに発展させるために、また違った形で白球を追いかけている。

 柴田氏は国指定の難病「ベーチェット病」と闘いながら、愛工大名電3年時に甲子園出場。明大進学後もリーグ戦に登板、2011年ドラフト会議で巨人から育成3位指名を受けた。1軍登板はならなかったが、野球と人を通じて、かけがえのない時間を過ごしてきた。

 苦しい時間の方が長かったかもしれない。中学時代までは日本代表のエース候補として、注目の左腕だった。しかし、病によってプレーすること自体を一度諦めかけた。ましてや名門大学、そしてプロになれるとは思ってもいなかった。ただ、周囲のサポートがあったから、夢の扉に手をかけることができた。高校時代は愛工大名電・倉野光生監督や仲間の支えがあった。大学時代、そしてプロ、引退後も「感謝の気持ちでいっぱい」な野球人がいた。

 話は明大時代にさかのぼる。柴田氏は大学2年の3月頃、米国合宿のメンバーに選ばれ、アリゾナ、ロサンゼルスで練習を行った。同期には野村祐輔投手(現広島)、島内宏明外野手(現楽天)らがいた。「合宿直前にまさかのイップスを発症し、当時は3軍選手。ただ監督の厚意で、違った環境に身を置くことで元の感覚を取り戻せるのでは、と思っていただき、帯同させていただけました」と感謝の思いで回想する。

 ドジャースタジアムでの練習は胸が高鳴った。しかし、一抹の不安がよぎる。「ちゃんと投げられるのか……」。野村を見に、日米のスカウトがバックネット裏にいるのも見えていた。迎えた投内連携の練習。柴田氏がマウンドから捕手へ投げた球は、そのスカウトたちがいる方向を目掛けて飛んでいった。

 不安は的中した。「その場はもう『なんでこんなピッチャーをアメリカに連れてきたんだ』というような雰囲気でした」。肩を落として、ベンチ裏に向かった。すると1人の男が声をかけてきてくれた。当時、ドジャースで活躍していた黒田博樹氏だった。

黒田博樹氏から「僕も君と同じような状態だった」…柴田氏に生まれた変化

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