ケンカ上等の内角攻め…「怖がらせる方が得だもん」 強面右腕に敵軍「あいつはやばい」

元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】
元中日・鹿島忠氏【写真:山口真司】

鹿島忠氏は1982年ドラ1で中日入り…内角球を武器に中継ぎで活躍した

「第1期・星野中日」で中継ぎのエース格で活躍した。他球団から恐れられるほどの厳しい内角攻めで知られた。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は、穏やかな笑顔で当時を振り返った。だが、かつては試合になると“別人”のようになった。戦闘モードに入ると普段の優しい顔が怖い顔に豹変した。実はこれ、すべて演技。競争の激しいプロ野球の世界を生き抜くために、意図的にやっていたことだった。そんな“裏側”も含めて、鹿島氏の野球人生に着目した。

 鹿島氏は1982年ドラフト会議で中日に1位指名され、鹿児島鉄道管理局から入団した右腕。プロ5年目の1987年途中から中継ぎ役に徹することになり、6年目の1988年には星野中日のリーグ優勝に貢献した。打者のギリギリを攻める内角球を駆使。7年目の1989年には54登板でキャリアハイの9勝をマークするなど、ドラゴンズに欠かせない存在として、星野仙一監督からも頼りにされていた。

「150キロを超えるストレートはないし、フォークが大魔神(元横浜、マリナーズの佐々木主浩投手)のように落ちるわけでもなく、スライダーがそこそこのピッチャーが、どうやったら打者を抑えられるか。インサイドをガンガンいって腰を引かせて、投げなきゃ無理だろって思った。実際、それをやったら、抑えられるようになったからね」。内角球で打者の体を起こして外角球で勝負する。内角球の残像を利用する投球術だが、鹿島氏は加えて内角球に関しては相手打者を怖がらせることも意識したという。

「バッター的にはどこに投げたら一番怖いか、嫌かを考えた。腰の高さくらいだったら楽に逃げられる。でも膝から下だと逃げるのに苦労する。目線の高さにボールを投げると、ベースの上だろうが、バッターは嫌がる。なので下か上か。バッターによって変えていた。相手が俺を嫌がってくれた方が攻めやすくなるし、打ち取りやすくなるんでね」。まさに打者がギリギリよけられるレベルでの投球。そこへ投げ込むコントロールに自信があるからこそだった。

装った“悪役”「あいつが出てきたらやばいと思われるように」

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