部活での軟式野球が「自分には合っていた」 156キロ男の選択を後押しした“父の言葉”
日本ハム・北山亘基は中学校の「野球部」でプレー
憧れのプロ野球選手にも、少年野球でボールを追った時代がある。最速156キロを誇る日本ハムの北山亘基投手は、京都市内の中学校の野球部に所属してプレーした。中学校で軟式、硬式のどちらを握るか迷う選手も多いが、北山は軟球が「自分には合っていた」と振り返ってくれた。
北山がプレーしていたのは、京都市立周山中の野球部だ。当時から投手だった。3年生の時には。部員14人のチームが春の市内大会で8強まで勝ち進んだという。「うち4人が同級生でしたね。小3の冬に少年野球のチームに入ったのですが、休み時間や放課後にやっていた野球の延長線上という感じ。だからとても楽しかった思い出です」と振り返る。
日本ハムの選手間では“教授”というあだ名で呼ばれるほど、自身の体をよく知る選手だ。中学に進む前には「硬球への憧れもあった」と言うが「(硬式では)早熟の選手が活躍していて、そういう選手がプロに行くものだと思っていた」と続ける。どこかで別世界のものと見ていた。
そして、中学校の野球部でのプレーは「自分には合っていた。怪我のリスクが低かったと思うんですよね」と断言する。さらに「投げるにしても、あとは打球が当たったりしたときのリスクも低い。ある程度の負荷が、成長期にはちょうどいいのではと思います。あとから知識が増えて、分かったことですけど」と続けた。
硬式を握ると「全く違いました」 違いに気づき、さらに伸びた
京都成章高に進むと、1年夏からベンチ入り。2年夏には背番号「1」を背負い、3年夏には同校19年ぶりとなる甲子園出場も果たした。ただ、硬球を初めて握るにあたっては苦労もあったという。
「まだ体ができていなくて、ボールの重さも違う。それまで軟球を難なく投げていた感覚とは全く違いました。ちょっとした力みでリズムも狂うし……。でも力を入れないと投げられない。余計な力が、どうしてもワンテンポ入る感じになりましたね」
感じた差を前向きな力に変えられたのは、持ち前の分析力のゆえか。「トレーニングをして“ボール負け”をしない体をつくろうと思ったんです。軟球を扱う感覚で、硬式ボールを扱えるようになろうと。ウエートトレーニングも、食事を増やして体を大きくしようともしました。隙あらばトレーニングという感じで走っていましたね」。
プロ野球選手になりたいと、子どもの頃から思っていた。軟式を選んだ時に父に言われた言葉が、今も胸に残る。「中体連で日が当たらない選手が、どこに行ってもプロになれないぞ」。北山は「その通りだなと思いました」と受け止め“ブカツ”で野球を楽しみ、うまくなっていった。日本ハムの先発ローテーションを支える今、その選択は正しかったといえるのではないだろうか。
(羽鳥慶太 / Keita Hatori)
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