高卒3年目が“監督級”待遇 女性ファン殺到で大混乱「タイヤで足を踏みそうに」
盗塁王・緒方耕一氏、高校時代も巨人でも支えてくれた先輩・井上真二氏
現役時代にスピードスターとして、巨人で2度の盗塁王を獲得した評論家の緒方耕一氏は、プロ3年目の1989年に念願の1軍デビューを果たした。タイミングを同じくして、熊本工時代の2学年先輩で先に巨人入団していた井上真二外野手も躍進し、2人は“熊工コンビ”として注目を集めた。緒方氏自身も「凄い人気でしたね」と回想する。
井上氏は巨人で現役引退後にコーチ、スカウトも務めた。緒方氏が高校1年生の時に主砲の井上氏は3年生でキャプテン。「熊工の中で、井上さんはトップ。1年と3年ですし、そりゃあ口はきけないですよ」。雲の上の人だった。
熊本工は古くから全国で名の通った伝統校。練習と礼儀作法は「とにかく厳しい。毎年100人近く野球部に入ってくるんですが、1か月で半分ぐらいが辞め、1年間で最後まで残るのは20人ぐらい」と語るほどだから推して知るべし。「でも、僕はなぜか知らないですけど、井上さんにかわいがってもらえたんです」。井上氏はさり気なく緒方氏にマッサージを依頼したりするなど、心身の休まる時間を与えてくれた。
井上氏の打棒はプロ、アマ問わず垂涎の的。「社会人の強豪チームからは、見学に行った際にヘリコプターで遊覧飛行の待遇を受けたと学校関係者の方から聞きました」。巨人にドラフト5位で入り、緒方氏が入団した頃には「ファームで不動の4番でした」。
18歳の緒方氏が、右も左もわからぬプロの世界でスタートを切る中、顔を知っている先輩の存在がどれほど有り難かったことか。「本当に助かりました。家具とかいろいろ買いに連れていって頂きました」。
2軍での私生活でも、共に過ごす時間が多かった。「練習の休みの日に外出して、新宿とかで買い物をするんですよ。その後にサウナに行くんです。そこから食事をして門限の時間ギリギリに寮に帰る。井上さんと僕と何人かの3、4人で、そのパターンを繰り返していましたね」。1軍で羽ばたく姿を夢見て、汗を流した青春の日々を語る。
1989年の人気爆発、ファン殺到…「タイヤで足を踏みそうに」
1989年、2人とも頭角を現した。井上氏は5月3日に代打でプロ初アーチをかけると、わずか2か月の間で本塁打の数を12に伸ばした。球宴にも選出され、新人王の候補にも挙がった。緒方氏も先輩の初本塁打から10日後に待望の1軍初出場を果たした。このシーズン76試合で打率.308、売り物の足でも13盗塁をマーク。後半戦は外野のレギュラーに定着した。「井上さんが先に活躍されました。僕とは違ってホームランバッターだから華々しかった。ちょっと神がかってましたね」。
2人とも実力に加え、さわやかなルックスで“熊工コンビ”と話題になった。メディアで取り上げられる機会が激増し、若い女性を中心に人気が爆発。移動などで、ファンから追いかけられた。
緒方氏が振り返る。当時の神宮球場には、クラブハウスの中と一般の人たちが通る場所の2か所に駐車場が設置されていた。「監督、コーチ、ベテランだけがクラブハウスの方に止めることができました」。
ところが、2人に対する熱狂的な人気に球団も慣習を変えざるを得なくなった。姿を見つけるや女性ファンが殺到してくるのだ。緒方氏は「周りを取り囲まれて危なかった。何人かタイヤで足を踏みそうになりましたもの。それでどうしようもなくなり、若いのに中になっちゃいました。井上さんも同じようでした」と背景を説明した。
選手層の厚い巨人。結果的に井上氏と外野の定位置を争う形になった時期もあった。それでも「プロとしては駄目なのかもしれないけど、大先輩でいい人で、ライバルと思ったことは一回もありません。プレーのタイプも違いましたし。井上さんの存在は大きかったです」と緒方氏。今の自分があることを憧れの人のおかげと信じ、感謝している。