温泉で聞こえてきた“打撃の神様”の声 「言葉は荒いけれど」忘れられない真の愛情
巨人で盗塁王2回の緒方耕一氏…熊本工1年時は“洗礼”に耐える日々
現役時代に盗塁王を2度獲得するなど巨人で攻守にスピード感あふれるプレーを披露した評論家の緒方耕一氏は、熊本工の出身。幾多の好選手を輩出してきた名門だ。高校時代の思い出と、同校の偉大なOBの川上哲治氏(元巨人監督)とのエピソードを聞いた。
強豪校とくれば、避けて通れない? のが上下関係だろう。熊本工は「とにかく厳しい。1年生にとっては2年生、3年生は神様、仏様という感じです」と緒方氏。1984年に入学してみると、練習以外の慣習にも戸惑うことばかりだったという。
例えば、1年生が校舎内で野球部の先輩に遭遇し、指示を受ける場合。「自分の学生服の第2ボタンの方を見ます。つまり、先輩の顔を見ちゃいけない」。用件を済ませて戻ってきても、先輩の顔には視線を向けられない。だから、最初に指示を受ける際に下を見ている時に「先輩の靴の汚れ具合とかを見て、覚えておく。帰ってきたら足元の特徴を探しながら、その先輩だと判断するというわけです」
1年生はみんなで朝、グラウンド整備をした。しかし昼食の時刻になると、上級生の数人がグラウンドに来てベンチに座る。「教室で食べればいいのに(苦笑)。また1年生が行かざるを得ません。まだ誰も使っていないグラウンドをならすんですよ、ずーっと。1年は早弁、早飯じゃないと駄目。お昼が食えないですから」。高校野球のスタートは、強烈な“洗礼”を耐える日々だった。
ルーキーの後輩の挨拶にも川上氏はつれない反応
高校の上級生を「神様」というならば、「打撃の神様」と呼ばれ、監督としても前人未到の日本シリーズ9連覇を果たした川上哲治氏は、まさに別格。熊本工でも巨人でも大先輩にあたる。
緒方氏はプロ1年目も強烈な体験からスタートした。巨人では親会社の読売新聞主催で、シーズン開幕前に激励会が催される。監督経験者の川上氏も招待されていた。畏敬の念を抱きながら挨拶した。
「熊本工業から来ました緒方耕一と申します」。川上氏の反応は「おっ」。これだけしかなかった。
緒方氏が回想する。「本当にそれだけで終わり。僕、熊工の後輩なんだけどなぁ……と思っていました」。2年目、3年目も全く同じ。ところが4年目に変わった。
「熊本工業から来ました緒方耕一と申します」。すると川上氏は「おおーっ、よく頑張っているな」。お褒めの言葉がどんどん飛び出し、話をしてくれるではないか。
緒方氏は3年目シーズンの5月に1軍デビューし、“新星現る”を印象付けていた。「1軍で活躍したことで、初めてジャイアンツの一員と認めてもらったんだなと感じました。入団の挨拶の時も、川上さんが僕に奮起を促すための愛情ですよ。昔の人ですから言葉は荒いけれど」
コーチ就任の際にお説教…温泉で「言い過ぎたかなぁ」
月日は過ぎて緒方氏が現役引退後。解説者を経て巨人のコーチに就任が決まった。報告すると、川上氏は、またまた愛情で包み込んでくれた。
「『養命酒さんの仕事に一緒に行くぞ』と、水のキレイな長野県の工場に連れて行って頂きました。夜は温泉で宴会。10人程の人がいたのですが、その人たちの前で『コーチとは、野球選手とは、こうあるべきだ』等々すごいお説教をされまして……。おいしい食事を目の前にして延々と(笑)」
何とか終わったので、温泉に入った。そこに緒方氏が先にいると知らず、川上氏も関係者らと浸かりに来た。「そこで僕の話をされ始めたのです。聞こえてしまう。こりゃあ、ヤバいと思いました」。しかし、内容は「さっきは緒方に厳しいことを言い過ぎたかなぁ」だった。「やっぱり優しい方なんだなと。ありがたくて。でも逆に温泉から出られなくなって、じーっとしていたことを覚えています(笑)」
熊本工には川上氏、吉原正喜捕手(元巨人)の記念モニュメントが建てられている。1937年夏の甲子園準優勝のバッテリーだ。「僕らの頃はなかったんですけど。プロに入ってもうずっと後になった時、グラウンドを訪問したらできていました。もちろん2人は神様ですよ」と緒方氏。母校での厳しい鍛錬を乗り越えたからこそ、巡り合えた大先輩への感謝を忘れることはない。