107年ぶりV…慶応・大村主将が発信し続けたメッセージ “髪型論争”への真の思い
「自分たちが日本一になれば何か変わるだろうと信じていました」
今夏の第105回全国高等学校野球選手権大会は、慶応(神奈川)の107年ぶりの優勝で幕を閉じた。自由な髪型や「エンジョイベースボール」を掲げる“新しい高校野球の形”が注目されたが、大村昊澄主将(3年)がメッセージを発信し続けた裏にはどんな思いがあったのだろうか。
甲子園優勝。目標を成し遂げ「ずっと思い描いてきたことが現実になったなと思いました」と万感の表情を浮かべた。大村にとって、その道のりは決して平坦なものではなかった。
「高校野球を変えたい」——。慶応が発信し続けたメッセージは、笑われることもあった。「神奈川も勝ち上がれていないような学校だったので、全然ダメじゃんと言われたこともありました。結果が伴わなかったら批判が集まるのは当たり前。それを自分たちはうまくプラスのエネルギーに変えて、何を言われても夢を追い続ければ成し遂げられるんだと信じて前を向いてやってきました」。大村は今、胸を張ってそう話す。
高校生ながら強い思いを発してきたことにも「慶応という歴史ある学校、異端と言われ続けてきた学校が発信し続けるのは使命でもあると思っている。正しい事、本質を貫くというか、遡れば福澤(諭吉)先生もそういう生き方はしていなかったので、それが慶応の生き方」と理由を明かす。だからこそ「できるかどうかより、(日本一に)ならないといけない。自分たちが日本一になることに凄く大きな価値があると思っていたし、なれば何かが変わるだろうと信じていました」と突き進んできた。
描き続けた日本一の主将に「そうですね、なれたと思います」
今大会では、勝ち進むごとに“髪型論争”も起きた。慶応は高校野球で“当たり前”でもあった丸刈りはいない。みんなが好きな髪形でプレーしていた。改めてこれに対して「高校球児だから丸刈りじゃないといけないという考え方がよくないと言っているので、丸刈りが正しいと信じているのであればそれが正しいですし、丸刈りがダメとかそういうわけではないです」と考えを述べた。
本業の野球以外の面で注目を浴びたことは「でも野球以外のことにもこだわってやってきたのは事実なので。慶応日本一と言うのは、野球の日本一だけではなくて、私生活とか人としての日本一を目指そうというのを掲げてやってきた。人としての部分とか考え方とか、そいういうところでももっと注目してもらいたかったのが事実なので、それはそれで悪くはない」と受け止めた。
誰もがキャプテンシーを称え、森林貴彦監督も一目置く主将。その言葉で、背中でチームをけん引してきた。昨夏、主将に選ばれた際には監督からベンチの可能性を告げられたが「火が付いたというか、このままでは終われないと」。身長163センチとチームでもひと際小柄な男は、グラウンドでも引っ張るために努力し続け、堅実な守備とここぞの打撃でプレーでも先頭に立った。
チームメートは「大村を日本一の主将にしたい」と口を揃え、ついに思いは結実した。日本一の主将になれたか——。そう聞かれた大村は、穏やかな笑顔で「そうですね、なれたと思います」とうなずいた。
「掲げた夢を諦めず、最後まで努力し続けたら叶うと証明できた」
「散々無理だと言われるようなことを言い続けてきて、でもそれにこだわってやってきた。大きいことを言い続けて自分自身に重圧をかけて、達成しないといけない状況をつくり上げて、その中で自分を鍛え上げてきたつもり。潰されそうになったこともあったんですけど、最後に成し遂げられたので言い続けてよかったなと思います」
そして、改めて願う。
「色んな野球があっていいと思っている。何が正解とか何が間違いとか、丸刈りだから正解、髪が長いから正解とかはなくて、人それぞれ色んな野球があって色んな考え方があって、それが全部認められる野球界になってほしいと思っています」
大村が、そして慶応が発信した声は、多くの場所に届いている。しばしの休息を経て、六大学野球に進んで今度は神宮を沸かせる。「夢ってそれぞれあると思うんです、野球に限らず。でも掲げた夢を諦めず、最後まで最後まで努力し続けたら叶うんだというのを自分たちは身をもって証明できたので、それは野球以外の部分でも人生でも生かしていけたらいいなと思います」。大村だったらきっと、どんな夢も叶えることができるだろう。
○著者プロフィール
町田利衣(まちだ・りえ)
東京都生まれ。慶大を卒業後、スポーツニッポン新聞社に入社。2011年から北海道総局で日本ハムを担当。2014年から東京本社スポーツ部でヤクルト、ロッテ、DeNAなどを担当。2021年10月からFull-Count編集部に所属。
(町田利衣 / Rie Machida)