「ロス五輪」は侍に追い風? 39年前は豪華プロ16人輩出…アジアで負けても“金”
1984年ロス大会は伊東昭光、広沢克己らを擁して金メダル獲得
国際オリンピック委員会(IOC)は16日、インドのムンバイで行われた総会で、2028年のロサンゼルス五輪で「野球・ソフトボール」を追加種目として承認した。ロサンゼルスでの五輪開催は1984年以来となるが、野球はその大会で初めて「公開競技」として実施され、日本が金メダルを獲得した。「ロス五輪」は日本野球にとって“縁起の良い”大会でもある。
39年前の代表はアマチュアでの編成だったが、メンバー20人のうち16人がのちにプロに進んだ“豪華メンバー”。投手には伊東昭光(本田技研、のちヤクルト)、宮本和知(川崎製鉄水島、のち巨人)、伊藤敦規(福井工大、のち阪急)ら、野手には正田耕三(新日鉄広畑、のち広島)、荒井幸雄(日本石油、のちヤクルト)、広沢克己(明大、のちヤクルト)、和田豊(日大、のち阪神)、秦真司(法大、のちヤクルト)らがいた。
日本のほか米国、韓国、チャイニーズ・タイペイ、イタリア、ドミニカ共和国、ニカラグア、カナダの8か国・地域が参加したが、対戦相手も豪華だった。決勝の相手、米国にはのちにMLBでシーズン70本塁打を放つマーク・マグワイア(のちカージナルス)や、巨人でもプレーしたシェーン・マック(のちツインズ)、ウィル・クラーク(のちジャイアンツ)、バリー・ラーキン(レッズ)らがいた。韓国のエースは宣銅烈(のち中日)、台湾のエースは郭泰源(のち西武)だった。
実は、日本は前年のアジア予選代表決定戦で、郭に完封負けを喫して五輪出場を逃していたが、キューバの辞退などの事情で繰り上げ出場となり、本番では予選リーグを2勝1敗。準決勝では郭にリベンジして台湾を破り、決勝も完全アウェーのドジャースタジアムでMLBの卵たちを相手に6-3で勝利し金メダルに輝いた。
以降は、プロが参加しても五輪での頂点は遠かったが、2021年の東京五輪でようやく金メダルを奪回した日本。東京に続く“連覇”とともに、「ロス五輪」での“連覇”も目指す。