見るなの忠告も「見てしまった」 恐怖で足ガクガク…忘れもしない王貞治の“睨み”
大野豊氏は1978年5月3日に王貞治氏と初対戦…目力に圧倒された
初対戦で足が震えた。元広島のレジェンド左腕・大野豊氏(広島OB会長、野球評論家)はその日のことを鮮明に覚えている。1978年5月3日、敵地・後楽園球場での巨人戦。打席には世界のホームラン王、一本足打法の王貞治内野手がいた。「デビュー戦でも震えることはなかったのに……。プロに入ってあんなふうになったのは、初めてでしたねぇ」。理由は王氏の鋭い眼光だった。マウンドに立って、投げる前に目があっただけで圧倒されてしまったという。
大野氏にとって王氏はやはり特別な存在ではあった。「僕が見てきたテレビの世界の王さん。その人が後楽園球場で目の前にいたんですからね」。でも、その時は感激している余裕もなかった。広島先発の外木場義郎投手が初回にいきなり無死満塁のピンチを招いて降板。4番・王氏の打順となったところでのリリーフ登板だったからだ。それでもマウンドに上がるまでは足が震えることはなかった。打者を抑えることに集中していた。ところが……。
「先輩から王さんの目は凄いから、あまり見ない方がいいぞって言われてはいたんですよ。でもキャッチャーのサインだけを見ようと思っても、やっぱりバッターも見てしまうじゃないですか。それで見たわけですけど、本当に王さんの目は凄かったんです。眼光、目力に圧倒されて、ビビっちゃって、足が震えたんですよ」。結果はセカンドゴロ。三塁走者が還って1点を失ったが、それはよく覚えていないという。とにかく強烈だった王氏の目。それが忘れられないようだ。
以降の対戦では足が震えることはなかったそうだが、王氏の目力は常にすさまじく、よく打たれたという。「王さんは勝負の前から目でピッチャーを威圧している。そういう感覚で打席に入っているんだなって思いました。僕は周囲からよく言われていたんですよ。『お前は目力がない』って。『四球を出したり、打たれたりすると目が凄く弱くなる』とね。ちょっとカチンと来ていたんですけど、王さんと対戦して目の力ってこの世界では必要ということを感じさせてもらいましたね」。
王貞治氏から得た学び「自分の変化を打者に見せないようにした」
当時の大野氏はプロ2年目。「王さんの目力というか、眼光の鋭さというのを若い時に学ばせてもらって、非常に大きな経験になりました」と振り返った。それを踏まえて自身も「どういう状況でもポーカーフェイスでやるように心掛けた」と明かす。「投げている最中に歯を見せない。笑わない。良くても悪くても、とにかく自分の変化をあまりバッターに見せないようにしました。それがいいか悪いかは別にして、とにかく隙を見せないという感じでね」。
王氏に学び、刺激を受けて、そう意識したことは大野氏の野球人生においてもプラスに働いた。「それをやり出してから、けっこう自分の中で、徐々に目力というのが身についたと思います。とにかく目で負けないという強さというものをね」。さらには相手打者の目を見るようにもなったという。「ただ打ちたくてしかたない選手もいれば、どうしようかなって考えている選手もいる。いろいろな人の目の表情が見える。そういうところも学ばせてもらいました」。
これをきっかけに他から吸収することも増えたそうだ。「同じピッチャーから学んだこともあった。要はこの世界って学びですよ、気付きですよ。その中から自分の力になるようなものをいかに取り入れるかですよ」。師匠の江夏豊氏からはカーブほど大きく曲がらないが、スライダーより大きく曲がる「スラーブ」を、巨人の新浦壽夫投手からはチェンジアップを、同僚の広島・小林誠二投手からはパームボールを教えてもらった。
大野氏はそれらすべてを自分流にアレンジして“武器”として使えるように仕上げた。「完璧にできたかどうかはともかく、そういうこともしていかないと、この世界では生き残れないとも思っていましたね。ある意味、お金がかからなくて、それが身につけば、稼げるんですからね」。足が震えた王氏との初対戦。その経験が、どんどん違うものをもたらして、大野氏の成長につながった。世界のホームラン王の目力を忘れるわけがないのだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)