「外部と関わりたくない」病で閉じこもった2年間 息子に見せる復活…支えた妻の思い

元西武・多和田真三郎【写真:荒川祐史】
元西武・多和田真三郎【写真:荒川祐史】

トライアウトで登板した元西武・多和田真三郎

 グレーのユニホームでマウンドに上がった右腕に球場が大きく沸いた。落差のあるフォークも健在だった。西武の背番号「18」を背負った多和田真三郎投手は、愛する子ども、妻のためにもNPB復帰を目指す。「もう一度かっこいいところを見せたい」。病気に苦しみ、白球を握れない日々が続いたが、何度も家族に支えられた。

「12球団合同トライアウト」が行われた15日の千葉・鎌ケ谷スタジアム。正面入り口で待っていた妻・渚さんのもとへ駆け寄るとグータッチの後、「本当にありがとう。渚のおかげだよ」と感謝の言葉を送った。この日、所属する軟式野球チーム「六花亭」のユニホームで登板。福田秀平外野手(元ロッテ)には粘られて四球を与えたものの、最速143キロで三振も奪い、打者を圧倒した。

 2016年のドラフト1位で西武に入団。2017年オフに渚さんと結婚すると翌2018年に16勝を挙げ最多勝を獲得した。2019年も開幕投手を務め、西武のエースとして順風満帆に見えた。しかし、自律神経失調症により、精神的にも不安定に。通院を繰り返したが、症状は改善しなかった。

「打たれたり悪い投球が続くとメディアに叩かれたり、ないことも書かれたり。そうしていくうちに外部の人と関わりたくないって思うようになりました」。2020年には契約保留選手という形からスタートし、7月に支配下契約。育成契約で迎えた翌2021年は実戦に復帰できず、球団から戦力外通告を受けた。

 外部との接触を拒んでいた多和田の唯一の支えは家族だった。渚さんも気持ちは同じだった。「野球が好きなのに心のバランスが安定しなくて。できない主人を見ているのはつらかった」。だからこそ、渚さんは「一緒に楽しく生活を正していこう」と明るく振る舞った。

転機になった帯広移住…渚さん「立ち直れるような環境を作ってくれた」

渚さん「睡眠だったり、食事だったり、日に浴びるとか、おいしいものを食べるとか。生活を整えることをとにかくしていった。楽しく目標を立てる。これができたら、ご褒美にこれやろうとか一つ一つ。サポートというよりも一緒に生活を正しながら楽しく過ごそうと」

 そんな中、転機になったのは今年4月、北海道の製菓会社「六花亭」に入社したことだった。富士大時代の恩師である青木久典監督が同社軟式野球チームの監督を務めていたこともあり、同社の亭主を務める小田豊さんもNPB復帰の夢を後押ししてくれた。

渚さん「本当に立ち直れるような環境を作ってくれて。 前には進まなきゃいけないという中で、仕事でも時にはしっかり怒られながら。今までできなかったことが気づいたらできるようになってきて。主人の負けず嫌いな性格もどんどん出てきた」

 多和田自身も仕事をこなしながら精神的にも安定していった。「また立て直してやってやるぞという気持ちで」。精神的にも安定した今年、2年ぶりにトライアウトに挑戦した。球速は143キロ。それでも現役時代より、自信はある。息子の真渚仁(まなと)くんは現在5歳。最多勝を獲得した年に生まれた。

多和田「最近、子どもも物心がついて。『お父さんは、何をやっているの?』と聞かれるようになってきた。その時にもう一度かっこいいところを見せたい。そして野球にも興味を持ってくれれば(笑)」

 15日のトライアウトでは盛大な拍手で見送られた。そんな一家の大黒柱の姿を、スタンドから見た渚さんも「本人が一番頑張った。感動しましたね。野球をしている姿が一番、主人らしいというか。皆さんが温かく、待っていたぞと言っているような拍手をしてくださった」とうれしそうに見つめる。まだまだ、NPBで戦う炎は消えていない。

(川村虎大 / Kodai Kawamura)

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