渋々の2日連続先発も…降板指令に怒り 曲がったスパイクの刃「初めて暴れた」
今中慎二氏が驚いたリリーフ登板…準備していないのに登板する事態に
1994年10月8日、69勝60敗で同率首位に並ぶ中日と巨人の130試合目最終決戦が、ナゴヤ球場で行われた。勝った方が優勝。巨人・長嶋茂雄監督が「国民的行事」と呼んだ試合は巨人が6-3で勝利して幕を閉じた。先発して4回5失点で敗戦投手になったのは元中日で野球評論家の今中慎二氏。何とも悔しい結果だったが「まぁ、あの年はいろいろありました」と言う。当時プロ6年目。まずはその「10・8」にたどりつく前の「1994」を振り返ってもらった。
この年の今中氏は28登板で13勝9敗3セーブ、2完封を含む14完投と活躍した。2年連続で務めた開幕投手は5回4失点で黒星だったが、4月の負けはそれだけ。順調に勝ち星を重ねて、オールスターゲームに出場し、第2戦(7月20日、ナゴヤ球場)の9回に登板してオリックス・イチローらを3者凡退に打ち取った。中日が延長10回3-2でサヨナラ勝ちした後半戦開幕の7月23日の巨人戦(ナゴヤ球場)にも先発。10回2失点で10勝目を挙げた。
しかしながらペナントレースは巨人が独走ムード。8月に8連敗を喫した中日の優勝は絶望視され、高木守道監督のその年限りでの退任は、この時点ではほぼ決まっていた。今中氏も8月下旬に登録を抹消。「チームもさすがに駄目かという感じだったし、それまでに中4日とかバンバンいっていたし、肩の状態のことも考えて抹消してくださいと言って、そうしてもらったんです」。肩を休めるのが目的。終盤に復帰するつもりで、まずは3軍に合流したという。
「3軍ではキャッチボールをする程度だったんですが、その間にチームが勝ちだしたんですよねぇ」。おまけに首位・巨人が黒星地獄にはまりだした。そのため予定より早い9月9日の阪神戦(甲子園)で1軍復帰となった。「いきなり『甲子園に来い』って。『何もしていないですよ』と言ったら『来るだけでいいから』って。で、行ったらベンチに入るというんで『えっ』となるじゃないですか。そしたら『ベンチに入るだけでいいから』って」。そんな感じだったそうだ。
試合は0-1の7回表に中日が2点を奪って逆転。その裏、先発・郭源治投手をリリーフした野口茂樹投手がピンチを招いた。ブルペンにいた今中氏は「『ちょっとやばいんじゃない。誰か作っていた方がいいんじゃないの』ってなって、誰か慌てて作り出したんです。俺は横でキャッチボールしていて『ほらほら、ピッチングコーチが出てきたよ』って言っていたんですけどね……」。すると高木監督がベンチから出てきた。
「『おいおい監督も出たよ、(次の投手は)誰?』って言っていたら『ピッチャー・今中』っていうから……。嘘やろ、何もやってないよ、これでゲームに行くのって感じでしたよ」。高木監督が審判に投手交代を告げるまでにブルペンに連絡は一切なかったという。「あり得ないでしょ。(ブルペンとベンチ間の)電話もあるのに。慌ててブルペンで(捕手に)座ってもらって、ちょちょっと投げて、マウンドに行きました」。
ノーゲーム登板の翌日も先発…5回2死での降板に「怒りが湧いた」
結果は2回2/3を無失点でセーブをマークした。「休み肩ですよ。それで抑えちゃったんですよ。(勝利投手の)郭さんは大喜びだった。(プロ通算)99勝目ということでね。こっちは大変でしたけどね」と今中氏は苦笑する。「その辺が守道さんらしいでしょ。ピッチングコーチと話もせずに、俺が(ブルペンに)いるもんだから勝手に(交代を)言っているんですからね」と懐かしそうに話したが、この9月にはもう1件、忘れられない出来事があったという。
それから2週間後のことだ。9月23日の広島戦(ナゴヤ球場)で今中氏はベンチでブチ切れた。4回2/3を4失点で降板。これに納得できなかった。話は前日(9月22日)から始まる。「その日の試合(阪神戦、ナゴヤ球場)に先発して4イニングを投げて(雨天)ノーゲームになったんだけど(高橋三千丈)投手コーチに『次の日も投げてくれないか』って。『えーっ、無理ですよ』と答えたら『頼むから』って。周りの野手たちも“行け、行け”っていうし……」。
8月下旬からの巨人のまさかの失速で優勝争いは一転して、巨人、広島、中日の三つ巴に。そんな中での“2日連続先発”を今中氏は最終的には承諾した。ただでさえ予定より早めに1軍に復帰して左肩の状態は決して万全ではなかったが、やると決めたら全力を尽くす。そんな気迫のマウンドだった。だが、1点リードの5回2死に広島・前田智徳外野手に逆転3ランを被弾。打者が江藤智内野手となったところで、今中氏は交代となった。
「2死ランナーなしだし、このイニングを投げたら代わるなと思っていたら、ベンチから(投手コーチの)高橋さんが出てきて『代わろう』って。俺はあと一人くらいいいんじゃないのって思った。逆転されたし、勝ち投手の権利とかじゃなくて、ここでわざわざ代えなくても思った。そんな中途半端なことをするなら、なんで今日投げたのって、怒りが湧いてきたんです」。ベンチに戻ってその感情が爆発した。
「初めてでした。俺がベンチとかで暴れたのは……。スパイクの刃が曲がっちゃいましたからね」。その試合は9回裏に中日が逆転サヨナラ勝ちした。「守道さんは泣いていたんですよね。勝って泣いていたんです。まぁ、そういう試合だったんですよね。当時の俺は泣かれてもなぁって思っていましたけどね」と今中氏は話したが、何はともあれ、それほど熱い戦いが続いていたということだろう。
9・23で逆転サヨナラ負けの広島は、その日から痛恨の5連敗で優勝争いから脱落した。その日が4連勝目だった中日は、その後も白星街道を走り、今中氏が1失点完投で13勝目をマークした10月2日の横浜戦(ナゴヤ球場)まで9連勝して、巨人との一騎打ちへ。今中氏にとっても「いろんなことがあった」1994年は、歴史的な10・8を迎えるわけだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)