破られた口約束…中日5位指名に「カチンときた」 幻となった巨人入り「行きたかった」
彦野利勝氏は愛知高のエースで3番打者として1982年春の選抜に出場
野球評論家の彦野利勝氏は1982年ドラフト会議で中日に5位指名されてプロ入りした。愛知高2年(1981年)秋からはエースで3番打者。プロ注目の選手だったが、3年春の第54回選抜大会で初戦敗退(2回戦、対横浜商)し、打撃に狂いが生じてプロ入りの夢も半ば諦め気味だったという。そんな中で、地元の中日がいち早く獲得に乗り出しての指名。「僕は球団を選べるような選手ではなかった」というが……。
愛知高2年秋、彦野氏は背番号1になった。「135キロ前後のスピードは出ていたんじゃないですかね。大したことはないけどスライダーとフォークもちょっとだけ投げていました」。先発した試合はほぼ完投。打っては3番打者でチームの柱だった。「新チームになってからは(秋の中部大会決勝で)中京に(2-8で)敗れるまで1回も負けませんでした。練習試合も含めてね」。
その中部大会決勝では1学年下の中京・紀藤真琴投手(元広島、中日、楽天)にしてやられた。中京の主戦は野中徹博投手(元阪急、中日、ヤクルト)だったが「隠し玉で紀藤が投げてきたんですよ。球が速くてみんなびっくりしちゃって。紀藤には場外ホームランも軽々と打たれました」。とはいえ彦野氏はその試合で3打数3安打だったように打撃の方は絶好調。翌1982年春の選抜出場も決まり、大会前から注目の強打者の一人となった。
だが、選抜はいいところなしに終わった。2回戦から出場で初戦敗退。1学年下の横浜商・三浦将明投手(元中日)の前に愛知打線は6安打11三振に抑えられて2-6。彦野氏も「ノーヒットで2三振、1ゲッツーと散々。最後のバッターは僕です。2死満塁で見逃し三振」。投げても「僕の球が全く通用しなかった」と14安打を許した。横浜商には同学年でプロ注目の荒井幸雄外野手(元ヤクルト、近鉄、横浜)がいたが「全く抑えられなかった」と悔しい話ばかりだ。
「ものすごく恥ずかしかったです。愛知県で騒がれて、中部でもそれなりに騒がれて、甲子園でも当然のように勝っていくと思っていたし、それがきっかけでプロの目もどうのこうのって思ったりもしていたんですよ。それが、すっからかんのコテンパンでしたから」。ショックは大きかった。「初めてバッティングを考えましたね。構えとかタイミングの取り方、荒井の打ち方のものまねをしたり、自分の欠点は何だろうっていろいろやってみた。悩んでいましたね」。
夏は甲子園に出られず「プロを諦めかかった時期でした。無理かなって」
打撃フォームを変えたところ「もっと打てなくなった」という。「それで元に戻したんですけど、中途半端に戻っちゃって、夏は全然打ってないんですよ」。3年(1982年)夏は愛知県大会準々決勝で中京に1-6で敗れて、終わった。「プロを諦めかかった時期でした。夏は甲子園に出れなかったし、調子は良くないし無理かなって……」。そんな時に地元・中日が獲りにきているとの話を聞いたという。
「ウチの監督と中日のスカウトの間で話がある程度、出来上がった分もあったみたいで、口約束ですけど獲るからってことで……。(中日入りのために)表向きは愛知学院大に行きますとカモフラージュで言っていた。実際、推薦のテストも受けて合格していました」。彦野氏は子どもの頃から熱狂的な巨人ファンだった。地元の中日はむしろ嫌っていた方だった。だが、もうその時はプロから声がかかっただけでありがたい話と受け取っていた。
「選抜で負けた時から僕は球団を選べるような選手じゃないって思っていましたから。巨人がいいだの、どこが嫌だの、そんなぜいたくは言っていられない。プロ野球の世界の人から来てと言われれば、ありがとうございますと言って行くべきと思っていましたから」。中日側からは「3位までに指名する」と言われていたそうだが、結果は5位。「当時は学校に電話がかかってくるので、それを待つだけ。夕方までかかってこなくて5位だし、カチンとはきましたけどね」。
それでも多くは言えない立場。「契約金は通常の5位よりも少しだけ上だったと思いますけどね」と入団決定の運びとなった。ただ、後になって聞いたという。「監督が『巨人からも来ていたけど、お前には言わなかった』ってね。その時は、そこは言ってくれよって思いましたね」。もしも事前に、その話を聞いていたら、気持ち的にもどうなっていたのだろうか。
「そりゃあ、心がウーってなりますよね。その時に単純に自分のわがままを言わせてもらえるのだったら、巨人に行きたかったですね。槙さん(槙原寛己氏=大府→巨人)も入っていましたしね。巨人に入っていたら斎藤雅樹や川相(昌弘)と同期ですよね……。でも、中日ファンの親父のことも考えていましたし、地元だし、今はドラゴンズで良かったと思っていますよ。まぁ、これが運命なんです。そう思います」。彦野氏は笑みを浮かべながら、そう話した。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)