迫る戦力外…かっこ悪く見えた“急に焦り出す先輩” 4年で3度通告も貫いた信念
ロッテ、中日で16年間…大嶺祐太氏「悔いもないし、泣くこともなかった」
16年間の現役生活で、3度の戦力外通告を受けた。2006年の高校生ドラフト1巡目でロッテに入団した大嶺祐太氏は、2022年限りで現役を引退。様々な形でプロ人生の岐路を迎えるたび、自分の気持ちに従って納得のいく決断をしてきたと胸を張る。
1度目は2019年オフだった。この年の1月に右肘の手術を受け、全治12か月でシーズンを棒に振った。ロッテと育成選手として再契約を結んだ際、いったん戦力外の扱いになると知らなかった。「手術前に球団と話をして『1回支配下から外すから』と言われたんですが『支配下から外す=戦力外』ということを知らなくて『戦力外になるんだ』とびっくりしました」と当時を思い返す。
2020年8月に支配下選手に復帰して1軍登板を果たしたが、翌2021年は8試合の登板に留まり、オフに2度目の戦力外通告を受けた。33歳のシーズン、夏場に肩を痛めたこともあり、驚きはなかった。「次の準備をしないといけない」という考えは常に頭の片隅にあった。野球は常に真剣に取り組んだが、空いた時間に様々なことに思いを巡らせた。
「30歳くらいから年齢も年齢だし『そろそろじゃないかな』というのはありました。クビにならないと思う人が、戦力外になっていく。そういうのを見ているし、自分の試合での使われ方を考えると『だろうな』と思います。戦力外になった時のことも頭のどこかに入れておかないと、いざなったときに『何も考えていませんでした』ではどうにもならないと思っていました」
中日2軍戦でのラスト登板「打たれましたけど、満足しました」
毎年8、9月ごろになると急に慌てだす選手をたくさん見てきた。いろいろなところに行き、いろいろな人の話を聞いて、さまざまなことを試している先輩たちの姿が、かっこ悪く見えた。「これだけ実績がある方がそこまでやらないといけないのかなって。『最後まで自分を信じてやればいいのに』と思って見ていました」。そのほうが、後悔なく終われると思った。次の人生について考えながらも、最後まで自分のルーティンを貫いた。
2022年は育成選手として中日に入団。ロッテだけではなく、違う球団も見てみたいという思いがあった。新天地では支配下契約を結ぶことはできなかったが、ナゴヤ球場でのウエスタン・リーグの本拠地最終戦に先発し、自分が思い描いているものに近い球が投げられた。「打たれましたけど、満足しました。野球に未練はありません」。オフに3度目の戦力外通告を受け、現役引退を決意した。
4年で3度。1度目は驚いたが、2度目、3度目は自身も納得の戦力外だった。「悔いもないし、泣くこともありませんでした」。通算129試合登板で、29勝35敗、防御率4.72。やり切った16年間。第2の人生は野球界を離れ、飲食業に携わっている。戦力外は非情通告と言われがちだが、大嶺氏にとっては新たな人生の号砲だった。
(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)