知らぬ女性と「話すのつらい」、貯めたかった2億円…“面白くないプロ人生”の幸せ
元中日、DeNAの笠原祥太郎、来季は台湾プロ野球に挑戦
まだ夏の気配すら残る10月下旬。待ち合わせた横浜駅近くのカフェに、白い半袖Tシャツ姿で現れた。よく見ると、襟元が少しくたびれている。「めっちゃ着まくってて、もう2年目です。これ最強っす。着心地よくて、楽で」。一着1990円。DeNAを戦力外となってから3週間、笠原祥太郎投手との久しぶりの再会は、そんな会話から始まった。【小西亮】
地元の新潟が大好きな28歳。2016年のドラフト4位で中日に入団後も、無意識に出る方言は周囲を和ませた。好きな野球に打ち込み、新潟医療福祉大時代に急成長を遂げ、飛び込んだプロ野球の世界。豪快さや華やかさを極力かわしながら、現役生活を過ごしてきた。
ルーキーの頃は、先輩に食事に連れて行ってもらうこともしばしば。場の流れでキャバクラに行く機会もあったが、なかなかの人見知りにはハードルが高かった。気を遣っていろいろ話しかけてくれるキャストの女性に、うまく反応できない。「きつかったっす。知らない女性と話すのがつらかったすね」と笑う。
プロ1年目を終えたオフに結婚。高校の同級生だった菜々美さんにプロポーズした際、「結婚しちゃっていいの? もっと他の女の子を見ておいた方がいいんじゃない?」と言われたが、全力で首を横に振った。来年1月で、夫婦となって丸6年。2人の可愛い娘に恵まれ、にぎやかな4人家族となった。
笠原はしみじみと、でもはっきりと言う。
「僕の人生って面白くないと思うんです。何にも面白い人生を歩んでいない。でも、結婚して、子どもができて、普通の生活が送れれば十分なんです」
唯一の豪快エピソード…アウトレットで半額の高級時計購入
面白いという言葉は、そのまま「刺激的な」や「プロ野球選手らしい」と置き換えられる。活躍すれば億単位の年俸を得られる、いわゆる“夢ある世界”。周囲からはチヤホヤされ、高級車に乗り、交友関係は幅広い。世間から抱かれがちなイメージは決して的外れではないが、自身にとっては別世界のような感覚だった。
中日で6年、DeNAで1年。「いやでも、僕もけっこう染まってしまいましたね」と頭をかく。球界では下の方でも、一般会社員の平均年収は優に超える年俸。財布の紐は、確かにゆるんだ。アウトレットで半額になっていた約30万円の高級時計を購入。これが、3分間考えた末に出てきた唯一の豪快エピソードだった。
決してケチでも、倹約家を鼻にかけているわけでもない。1年後すら保証されない職業につき、将来への備えを最優先に考えるのは当たり前だと思ってきた。「サラリーマンの生涯年収が2億円くらいっていうじゃないですか。だから現役の間に2億円を貯金して、やめてからは地元で気楽に暮らしたいなって考えていました」。使う楽しさはほどほどに、貯めて安心を得る7年間だった。
冒険しない思考は、やるかやられるかのグラウンドでは武器にならなかったのも、自分が一番わかっている。打者との対戦でボール球が先行すると、「フォアボールを出したらどうしよう」と心配が先にくることは少なくなかった。負けず嫌いの我慢比べのような空間で「相手より精神的に上に立てなかったというのは、自分の足りなかったところだと思います」と冷静に省みる。
自分でも驚いた決断「なぜかワクワクの方が強いんですよね」
NPB通算56試合登板で、11勝15敗、防御率4.44。はたから見ればプロ野球のマウンドは何よりも刺激的に思えるが「すごい世界だったというか、好きな野球を懸命にやってきたという感じですかね」と、どこかピンとこない。現役生活に区切りをつけ、地元に帰る選択肢もあった。球団スタッフとしての誘いも受けた。独立リーグや社会人からも声をかけてもらった。堅実に、実直に生きてきた左腕はこの冬、最も意欲的な一手を打った。
「自分でもなんで選んだのか驚いています。もちろん不安もありますけど、なぜかワクワクの方が強いんですよね」
台湾プロ野球の台鋼ホークスに入団。2022年にできたばかりの球団で、異国では“助っ人”扱いになる。「プレッシャーを感じながら投げられるのはありがたいことなので」。年が明け、1月中旬にはもう海を渡る。
穏やかな人生は、確かに居心地がいい。でも、ほんの少しスパイスを加えることで、深みが生まれることもある。どんなに小さな一歩でも、途端に生活がみずみずしくなるときだってある。
小一時間ほど話し、カフェを出ようとしたころ、笠原はもう一つの挑戦を教えてくれた。くせっ毛で困っていた前髪を触りながら、うれしそうに言った。
「明日パーマをかけようと思っているんです。人生初のパーマです」
(小西亮 / Ryo Konishi)