売り子→プロ格闘家に“異色の転身” 定職つかぬ日々へて決心…収入減も溢れる充実感
ナゴヤ球場の元売り子・RiNRiNさん、キックボクサーとして昨年12月も勝利
「ビールいかがですかー!」。中日の2軍本拠地・ナゴヤ球場でそう声を張り上げ、笑顔を振りまいていた売り子はいま、鬼気迫る表情でパンチや蹴りを繰り出している。昨年5月にプロデビューを果たしたキックボクサーのRiNRiNさん。球場からリングに舞台を移し、新たな挑戦に打ち込んでいる。
昨年12月の試合で判定勝ちをおさめ、デビューから無傷の2戦2勝。「無事に勝ててよかったですけど、初戦がKOだったので……。判定勝ちは悔しかったです」と悔しさもにじむ。スタイルの良さが際立つ長い手足。ロングヘアを編み込んだコーンロウが“戦闘スタイル”だ。
小学1年生の時に親の勧めで空手を始めたことが、格闘技との出会いだった。中学生になり、キックボクシングを始めた。高校では空手を本格的に再開。1年のころから毎年全国大会出場し、3年時には全国優勝を成し遂げた。
高校日本一にはなったが、さらに上を見ると限界も感じた。「世界大会に行くような人たちを見てしまったら通用しないなって。それなら、いま優勝したタイミングで終えて、頑張った自分を褒めてあげたくて」。自ら区切りをつけ、道着を脱いだ。
大学受験で浪人し、勉強しながらアルバイトを始めた。コンビニや飲食店でも働いたが、最も没頭したのが売り子だった。
「子どものころから試合観戦に行っていましたし、野球はもともと馴染みがあって」。スタンドを駆け回り、ビールを売る。「頑張っていることを評価してくれるんだって嬉しくて。売り上げを伸ばせた時も喜びを感じるようになりました」。お客さんとの会話や、球場ならではの雰囲気に魅了され、気がつけば6年間続けていた。
人生に必要な区切り「納得できるのはプロしかありませんでした」
球場で汗を流す傍ら、小学校からお世話になってきた愛知・春日井市のジム「ライジング己道会」で、こども空手の指導員や趣味程度のキックボクシングは続けていた。アマチュアの試合に出ることもあり、プロ挑戦を勧められていた。興味はありながらも、自分の熱意は不十分なのではと踏み出せずにいた時期もあったが、サポートしてくれる周囲の感謝を胸に一念発起した。
「このまま何も成績を残さなくていいのかな、何を区切りとするんだろうと思ったときに、納得できるのはプロしかありませんでした」
昨年4月に売り子は卒業。ジムでインストラクターを続けながら、アルバイトや業務委託など複数の仕事をこなす。「今考えると(売り子時代は)いくら給料が入ったか、気にしなくてもいいくらいもらえていたんだと思います。でも今は生活のためにいくら稼がないといけないからって逆算してアルバイトをしていますね」。女子キックボクシングの認知度は高くなく、ファイトマネーだけでは生活費は賄えない。
練習とアルバイトで忙しい日々でも、表情には充実感が溢れる。「格闘技ありきの人生ですね。(指導してくれる)先生も仲間も含め今のジムはすごく好き。どんなときも自分の生活にはジムがあったので。やめるって選択肢はないんです。だからこそ恩返しできたらいいなと思っています」。今月にはデビュー3戦目も控える。「最終目標は決まってなくて、行けるとこまで行きたい」。納得できるまで、リングに立ち続ける。