“チームの顔”放出に抗議殺到 オーナーからは「すぐに取り戻せ」…大きすぎた決断の代償
ロッテで球団代表と社長を兼任した瀬戸山隆三氏、サブローのトレードは「断腸の思い」
フリーエージェント(FA)、人的補償、トレードなどを巡っては、過去にも様々なドラマが起きている。ダイエー(現ソフトバンク)、ロッテで球団経営にも携わった瀬戸山隆三氏も、球界を揺るがす移籍を間近で見届けたうちの1人。ロッテ時代には「断腸の思い」でスター選手の放出に踏み切ったことがあった。
4番打者を務める生え抜きの選手会長がシーズン途中にチームを去った。2011年6月29日、工藤隆人外野手プラス金銭による交換トレードで巨人に移籍したのがサブロー外野手だった。当然、ファンからは怒りに満ちた苦情の嵐。当時の状況を瀬戸山氏は「世論の反発は予想していたし、脅迫状も来る可能性はある。フロントの立場は苦しいですよ……。でも、それが私の一番の役割だった」と振り返る。
ロッテは前年(2010年)にリーグ3位からの日本一を達成。“史上最大の下剋上”として大いに沸き、2年連続日本一に向け機運が高まっていた。だが、球団の赤字財政は解決されず「当時は十数億円のマイナス。チームの成績以上に赤字は悪の考え」と、いかにして黒字に転換させるかが最重要課題だった。
日本一になっても経営状況は悪化するばかり。チケット、グッズ販売など営業面で試行錯誤を繰り返すも、どうにもならない状況。「どうやって、やりくりしてもすぐの黒字化は厳しい」。当時のオーナーへ報告するも「売上を上げろ」の一点張り。そんな中、最終手段として挙がったのが、高年俸選手の放出だった。
サブローへ移籍を通達も「どんなことが起きるか想像もできた」
サブローとは公私にわたり親交があっただけに、面と向かった瞬間は言葉がでなかった。それでも、移籍を選手に伝えるのが瀬戸山氏の役目。「巨人で経験して、いずれ帰ってくればいい」。人件費削減を目的とした、スター放出の代償は大きかった。
トレードが発表されるとロッテファンだけでなく、プロ野球ファンからも怒りの声があがった。外部からすれば不可解な移籍。球団には抗議の電話が鳴りやまない。当時のオーナーは「すぐにサブローを取り戻せ」と号令するも、時すでに遅かった。
「私も『それは無理ですよ、せめて1年間はやってもらわないといけない』と言いました。どんなことが起きるか、想像もできていた。(トレードを)通達する時には『もうここには長くいることはできない』と腹はくくっていました。サブローもFAを取得する。それで戻ってくればいいと」
瀬戸山氏はその年の9月に辞任を発表。サブローは同年オフにFA権を行使しロッテに復帰した。巨人への電撃移籍から、わずか176日の出来事だった。
(橋本健吾 / Kengo Hashimoto)