“データ改ざん”懇願した正捕手「頼みますから」 スパイ疑惑で消滅も…緊迫の空気感

元中日・都裕次郎氏【写真:山口真司】
元中日・都裕次郎氏【写真:山口真司】

都裕次郎氏がスコアラー時代、中村武志捕手から懇願「頼みますから…」

 元中日投手の都裕次郎氏は1989年の現役引退後もスコアラーや2軍投手コーチなどを務め、ドラゴンズを支え続けた。チームのため選手のために、どんな仕事もきっちりこなしてきたが、いろんな出来事にも遭遇した。1位から6位まですべての順位を経験、闘将・星野仙一監督の時も、オレ流・落合博満監督の時も……。ある時は中村武志捕手から切実なお願いをされたこともあったという。

 現役引退した都氏は1990年シーズン、打撃投手になった。しかし、左肩を痛めたのが響いて、選手生活にピリオドを打つしかなかっただけに、この仕事は少々無理があった。「全力では投げていなかったし、(マウンドより)ちょっと前から投げていたんですけど、それでもやはり半年くらいしか持ちませんでした」。連日の投球により、左肩の状態がまた悪くなり「最後はもう投げられないような感じになっていました」。どうしようもなかった。

 そんな時に江崎昭雄チーフスコアラーから「スコアラーをやってみないか」と誘われたという。「ありがたかったです。受けさせてもらうことにしました」。都氏は他の打撃投手よりも、かなり準備に時間をかけていた。「5球くらい投げてバンバン行くのではなく、十分に肩をあたためて、キャッチボールを入念にしないといけなかった。江崎さんはそんな様子も見ておられたんだと思います」。そこからスコアラー人生が始まった。

「最初はビデオ係でした。編集したりね。試合の時は江崎さんのサブの仕事もしました」。ネット裏などで試合をチェックし、ストライクゾーンを9分割した配球チャート表に投手が投げたコース、球種などを書き込んだものを1イニングずつベンチに持っていく“鳩”と呼ばれた仕事。「今はそのシステムはなくなりました。(1998年の)ダイエーのスパイ疑惑があってからなくなったんです」というが、当時はどこの球団も普通にやっていた。

「あの頃は星野監督でしたが、チャートを持って行くと『こんな甘いところばかり投げやがって』ってそれを見て言うわけですよ。『打たれるに決まっているやろ!』ってね。それで中村武志がよく言っていました。『お願いですから、あまり甘い(コースの)ところにつけないでくれますか』って。厳しいところだったら、ここを打たれたんだったら、しかたないみたいな感じになるから『頼みますから厳しい感じでつけてほしい』ってね」。

落合中日優勝の全てに、チーム付きスコアラーとして携わった

 星野監督はバッテリーには特に厳しい。甘いコースを打たれたとわかれば、それこそ怒りのスイッチが入ってしまう。それを何度も経験している中村にしてみれば、少しでもそういうシーンを減らしたかったということだろう。スコアラーになりたてだった都氏にも、それは印象に残っているわけだ。星野氏は1991年に第1期政権を終え、1996年に監督復帰した。その第2期政権中の1999年の優勝も都氏は忘れられない。

「あの年は開幕11連勝でスタートしましたが、それがあったからプレッシャーがかかりましたね。何か絶対優勝しないといけない感じで……。自分は(次のカードか、次の次のカードの対戦チームをチェックする)先乗り(スコアラー)だったんですけど、それで負け越したりすると、何か縁起が悪い人間みたいになっちゃいますから。そういうのもありましたからね」。選手の時とはまた違った感覚ながら闘いの日々だったのだ。

「選手には自分らが(相手の)傾向とかを伝えますけど、それが正解というわけではないじゃないですか。でも曖昧な感じで言うのは駄目で、言い切るところは言い切らないといけない。多少ハッタリでもいいんでね。それが試合でうまくいったら内心よしと思いますが、自分のおかげとかは全く思わない。基本的にスコアラーが名声を求めてはいけないなと思います。それはずっと思ってやっていました」

 落合監督となった2004年シーズンから、スコアラーは担当球団制となった。「今はヨソの球団もそれをやるようになりましたからね。落合さんはすごいですよね。自分はバッテリー担当のチーム付きでしたが、スコアラーにとってもありがたかったですよ。スコアラーの人数が増えましたから。思えば落合さんには注文をつけられたこともなかったですね。バッテリーのことは(投手コーチの)森(繁和)さんに任せていましたしね」。

 リーグ優勝4回、日本シリーズ制覇も1回成し遂げた落合中日時代を、都氏はチーム付きとしてすべて経験できたのも、いい思い出だし、自身の“財産”になっている。山田久志監督時代の2002、2003年と森監督時代の2018年には2軍投手コーチも務めた都氏は「コーチになると体調がおかしくなる時がある。2回ともインフルエンザにもかかったんですよね」と苦笑しながらも、それもまた貴重な経験だった。どの時代でもいろんなことを吸収した。無駄だったことはひとつもない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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