絶賛した“巨人の主砲”「彼はメジャーでやれた」 虎助っ人が感じた可能性「才能抜群」
恐れた右腕「彼がでてきたら『オーマイゴッド!』って感じだよ」
NPBで通算133本塁打を放ったクレイグ・ブラゼル氏が10年ぶりに来日し、Full-Countのインタビューに応じ、日本でプレーした7年間を振り返った。一番苦手だった投手の名前は、今でも即答できる。「ただただ、えげつなかったよ」。思い出すだけで自然と表情が歪んでしまう。【取材協力・一般社団法人日本プロ野球外国人OB選手会】
西武、阪神、ロッテと計7シーズンを日本で過ごし、阪神時代の2010年にはリーグ2位の47本塁打をマークし、強烈なインパクトを残した。数多くの日本の投手と対戦してきた中で、ブラゼル氏が挙げた苦手な投手は、中日のリリーフとして活躍した浅尾拓也投手だった。
「アサオ。So Nasty(やばい)」
当時の浅尾は、本格的にセットアッパーとして起用され、2010年には72試合に登板して12勝47ホールド、翌2011年には79試合で45ホールド、防御率0.41を驚異的な成績を残しており、まさに“全盛期”のタイミングだった。
「彼は本当にえげつなかった。彼が肩を痛める前だね。彼がでてきたら『オーマイゴッド!』って感じだよ」
中日戦の8回、チームがビハインドの展開だとベンチで震えあがっていた。「8回になったら打順が回ってこないか確認するためにスコアボードを見ていたよ笑」。ダルビッシュ有投手、岩隈久志投手、田中将大投手らとも対戦したが、その中でも強烈なインパクトを受けたのが浅尾だった。「日本には素晴らしい投手がたくさんいますが、彼は間違いなくいい投手だったよね」。
1番好きだったバッターは…「彼のアプローチは最高でした」
野手では、当時の野球界を彩った打者の名前がスラスラと出てくる。「オガサワラ(小笠原道大)、彼のアプローチは最高でした。彼のプレーに対する姿勢が好きだったんです。よく話をしましたし、彼をよく観察しました」。フルスイングや愛称でもある“ガッツ”溢れるプレーに、敵ながら魅了されていた。
ライバル球団の阿部慎之助捕手との対戦も「楽しみでした」と話す。「彼はメジャーでやれたと思います。才能は抜群で、捕手としてはカウントによって攻め方を変えて、色々な攻め方をされました。彼の打撃を見ることも好きだった」と絶賛した。2010年には本塁打王も争い、ブラゼル氏が47本、阿部が44本で3本上回っている。「彼に勝ったことは嬉しかったね」。
楽しかった日本での思い出は、色褪せることはない。「ワダ(和田一浩)、ヤマサキ(山崎武司)……。カネモト、アライ、トリタニ、ジョージマのようないいバッターと一緒にプレーできたのは幸運だったね」。終始笑顔で、同年代の選手たちを懐かしんだ。