朝4時起きで出勤…命じたアルバイト 「昔は怖かった」ヌートバーを育てた“日本の教え”
母久美子さんが語る育て方…子ども達から「昔は怖かった」
「直接話したら100%全員が好きになる」。昨春に行われたワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で野球日本代表「侍ジャパン」の栗山英樹監督がカージナルスのラーズ・ヌートバー外野手にかけた言葉だ。会った人を虜にする人柄は母、久美子さん譲りだ。
ミドルネーム「タツジ」から付けられた「たっちゃん」の愛称で日本中から愛された。ペッパーミルパフォーマンスは高校野球でも行われるなど、一大ブームに。侍ジャパン初の日系選手は3大会ぶりの世界一だけでなく、日本中を熱狂の渦に巻き込んだ。
ヌートバー同様、母久美子さんも一躍時の人となった。大会期間中はテレビで見ない日がないほど引っ張りだこ。住んでいる米カリフォルニア州ロサンゼルスとの時差の関係もあり、朝4時から収録に臨むこともあった。明るくて気さくなお母さん――。そんなイメージの一方で、かつては“厳しい母”だったという。「子どもたちはみんな『昔は怖かった』って言いますね」と笑う。
子育てでは日本で教わってきたことを大事にした。「時間を守ることと、目上の人を敬うことはしっかり教えてきました」。米国では年上の人に対しても、気さくにファーストネームで呼び捨てをすることはあるが、ミスター、ミセスをつけラストネームで呼ぶことを徹底させた。
コロナ禍でマイナーが中止になったヌートバーにアルバイトを提案
マイナー時代にアルバイトをしたのも母の提案だった。2020年、新型コロナウイルスの影響でマイナーリーグの全試合が中止に。当時ヌートバーは大学の単位をとるためにオンラインで授業を受けていたが、知り合いの工場で働くよう勧めた。
兄のナイジェルも投手として2014年夏のドラフトでオリオールズから12巡目(全体361位)でプロ入りしていた。しかし、マイナーでは6勝3敗、防御率7.53。メジャーリーグでプレーすることは叶わなかった。厳しい世界だというのも知っているからこそ「うまくいくかもわからない中で、良い機会だと思って」と。
提案した当初は少し不満げな表情を見せていたが、すぐさま工場でも“人気者”になった。「作業場から、作業着を着てヘルメット被ってビデオ通話してきたりね。楽しんでいましたよ」。マイナーリーグのスプリングトレーニングが始まるまでは朝4時に起きて午前中はアルバイト、戻ってきて大学のオンライン授業にトレーニングも欠かさなかった。「よく頑張っていました」。弱音を吐かずに取り組んでいた我が子が誇らしかった。
厳しく育ててきたからこそ、“日本のチーム”に馴染めない不安はなかった。「言葉ができないとかは心配でしたけど、日本の母として育ててきたので、そこは心配なかったですね」。久美子さんの言葉通り、大人気となった。
今季、肋骨骨折や脇腹の痛みなどで2度のIL入り。ここまで39試合の出場にとどまっている。ただ、5月6日(同7日)の試合後にはチームを鼓舞するために、自ら丸刈りに。翌7日(同8日)から2戦連発の2号、3号を放つなど、以降は打率.312と復調の兆しを見せた。久美子さんいわく「昭和の日本男児です」。ヌートバーのルーツを辿ると、日米から愛される理由がわかった。
(川村虎大 / Kodai Kawamura)