武相は「簡単に負けない」 56年ぶり甲子園へ…春の王者が勝ち続ける“秘訣”
試合当日は午前5時半から打撃練習「感覚を掴んで試合に」
5日に開幕した第106回全国高等学校野球選手権神奈川大会は17日に4回戦が終了し、ベスト16が出揃った。42年ぶりに春季県大会を制した第1シードの武相は、2回戦(初戦)から海老名、湘南学院、松陽を下して5回戦へ。春に優勝したことで、他校からのマークも厳しくなっているが、豊田圭史監督は「1戦1戦、勝つための準備をするだけ」と口にする。
試合当日、武相の朝は早い。13日に行われた湘南学院との3回戦は、午前5時半から6時10分まで自校グラウンドでバッティング練習を行ってから、会場の平塚球場に向かった。日頃は、通学生と寮生に分かれているが、夏の公式戦前日はメンバーを中心に学校内の施設に宿泊する。第1試合の場合は、基本的に午前5時に起床し、バッティングをしてから試合に臨む。
「うちは、“エリート”ではなく“雑草軍団”。不器用な選手が多いので、試合直前まで練習して、感覚を掴んでから試合に入りたい。朝に打ち込むことで安心感を持って、試合の打席に入ることができると思っています」
「夏は疲労を溜めないほうがいい」との考えで、試合当日の練習をやらないチームもあるが、豊田監督はほぼ必ずやる。エリート軍団ではないからこそ、バットを振る。
湘南学院の背番号1は左腕・相澤悠翔。さらに、身長188センチの大型左腕・油田瑛太も控えていたことから、対戦が決まってからは左腕を打ち込んできた。決して、自由に打つわけではない。試合前は「逆方向に5本×2セット」という約束事があり、右打者は二塁方向に、左打者は遊撃方向に強い打球を打ち込む。
「試合が近付いてくると、どうしても強く振りたくなるものです。そうなると、前の肩が開いて、アウトコースが届かなくなる。その日最初のバッティング練習で、肩の開きを抑えて、逆方向に打つことを意識付けさせています」
試合は、先発・相澤の立ち上がりを攻めて、1番・大久保快人が初球を左前に運ぶと、「朝のバッティングからいい感じで打てていた」と自ら語る2番・金城楽依夢が1ストライクからの2球目を右翼へ二塁打。その後、5番・広橋大成の内野ゴロで1点を先制した。
2回裏には3本の安打、3回裏にも2本の安打を集めて加点し、5-0とリードを広げ、試合の主導権を握った。投げては背番号11の三上煌貴が6回以降に3点を失うも、要所をしっかりと締めて、最終的には6-3で逃げ切った。
監督就任後3年間、力を注いだ「土台作り」
豊田監督は、2013年12月から北東北大学リーグの富士大で指揮を執り、大学選手権に5度、明治神宮大会に3度出場した実績を持つ。教え子には山川穂高(ソフトバンク)や外崎修汰(西武)らがいる。
2020年8月から母校である武相の再建を託され、監督に就任した。1960年代に4度の夏の甲子園出場を誇る伝統校も、県大会でベスト8に入ったのは2013年秋が最後と、低迷していた。就任後、最初の3年は挨拶や掃除、礼儀など“人として”の部分を教え込み、「土台作り」に力を注いだ。
昨秋からは「野球をやるぞ」とチーム全体に宣言して、技術面の強化に着手。低反発バットに変わることもあり、打撃とフィジカル強化の両輪に力を入れ、冬場は週3日~4日のウエートトレーニングを徹底。主将の仲宗根琉空は「冬場は1分も無駄にせずに、トレーニングに取り組んできた」と自信を持って語る。
その成果が出たのが春の県大会で、準々決勝以降は日大藤沢、向上、東海大相模とすべて1点差で下し、春の頂点を掴み取った。県大会6試合で見ると、2点差以内の勝利が5試合。接戦での強さこそが、武相の特徴と言える。
豊田監督が口酸っぱく伝えているのが、「9イニング勝負」「守備と攻撃を分けて考える。ミスを引きずらない」ということだ。湘南学院戦は6点リードの展開から3点を返され、追い上げられる重圧を感じながらの試合になった。それでも、試合後の指揮官は冷静だった。
「序盤で点数が入ると、中盤以降は点数が入らないのが野球です。1試合の中での得点数やヒット数には限りがあるもの。それは試合中にもずっと言っていました。だから、序盤に5点を取ったあとはうちが守るしかない。追い上げられる展開になると思っていました」
試合の流れをつかむ攻守交替「ため息をつく前に、守備に向かう」
就任後、チームに徹底して植え付けてきたのが攻守交代時の全力疾走の大事さだ。特にチャンスを逃したあとこそ、気持ちを切り替えて守備に向かう。絶対に引きずらないことが、9イニング勝負を制するための大きなカギとなる。
湘南学院戦の2回裏、2点を取ってなおも2死満塁のチャンスがあったが、4番の平野敏久が一塁ゴロに倒れた。ベンチにいる野手陣はグラブをはめたまま、戦況を見つめ、一塁手が捕球した直後にはグラウンドに飛び出そうとしていた。
「“あ~”とため息をつく前に、守備に向かう。練習試合の時からやり続けてきたことです」
3回裏の攻撃を終えたあとには、この夏から神奈川で採用されたクーリングタイムに入った。残り1分となったところで、選手たちはベンチ前でキャッチボールを始め、守備に向かった。5回終了後の10分間のクーリングタイムも、「残り1分」の声がかかると、キャッチボールに入った。
「キャッチボールをしっかりとやってから、守備に入る。これだけで守備に対する入り方が変わってくると思っています」
ここまでの3試合で守備陣は無失策。湘南学院戦では、6回表に2点を取られ、なおも1死一、二塁のピンチで、遊撃の仲宗根が球際の打球を好捕し、6-4-3の併殺に仕留めるビッグプレーもあった。
じつは春の大会では守備のミスが目立っていたが、豊田監督は「夏には仕上げます」とさほど気にしていなかった。「冬から春にかけては9対1の割合でバッティングに取り組んでいました。守備のミスが出るのは仕方ない。夏にかけては、守備の割合をもっと増やしていきます」。
やるべきことをひとつずつクリアしながら、夏を迎えている。「うちはそう簡単に負けないですよ。それだけの準備をしてきている。夏を乗り切る気合いと根性も持っています」。
目指す場所は、1968年以来の夏の甲子園。ひとつひとつ積み重ねた先に、56年ぶりの聖地が見えてくる。
(大利実 / Minoru Ohtoshi)
○著者プロフィール
大利実(おおとし・みのる)1977年生まれ、神奈川県出身。大学卒業後、スポーツライターの事務所を経て、フリーライターに。中学・高校野球を中心にしたアマチュア野球の取材が主。著書に『高校野球継投論』(竹書房)、企画・構成に『コントロールの極意』(吉見一起著/竹書房)、『導く力-自走する集団作り-』(高松商・長尾健司著/竹書房)など。近著に『高校野球激戦区 神奈川から頂点狙う監督たち』(カンゼン)がある。