負傷離脱で消えた夢の祭典 23歳、太田椋が突き進む“鍛錬”の夏…「未来の自分のために」
太田椋、無念の球宴辞退も「試合に出られなかったことの方が悔しい」
無念の離脱に、唇を噛み締めた。オリックスの太田椋内野手は前半戦最終試合だった7月21日の楽天戦(ほっともっと神戸)で、一塁ベースを踏んだタイミングで負傷。神戸市内の病院で診察を受け「右踵骨(しょうこつ)骨挫傷」と診断され、翌22日に出場選手登録を抹消となった。
代替選手として選出されていた球宴の出場も辞退。幼少期には京セラドームでのオールスターで始球式を務めたこともあっただけに、残念な気持ちが募った。ただ、太田が強調するのは球宴辞退ではなく、負傷でのシーズン離脱。「オールスターに出られなかった悔しさよりも、シーズンを通して試合に出られなかったことの方が悔しいですね」と現在は懸命にリハビリ生活を送っている。
太田は2018年にドラフト1位でオリックスに入団。近鉄で活躍した父・暁さんがチームの打撃投手を務めており、二人三脚の日々を過ごしプロ6年目のシーズンを迎えていた。こんきはここまで61試合に出場して打率.296、2本塁打、32打点。得点圏打率.393の成績を残し、定位置を掴みかけた最中での離脱。天を仰ぐしかなかった。
「僕は昔から何回もチャンスをもらってきた立場なので……。何回もチャンスを頂いてきた中で、今年に入ってから、ようやく実になってきている感じがしていました」
大阪・舞洲の球団施設では、すでにユニホームを着て打撃練習を再開しているが、ハードな動きは禁物。太田は、思いもよらぬ死球で負傷離脱し、シーズンの大半をリハビリ生活に充てたこともある。「大変な時期、しんどい期間も、もちろんありました。だけど『未来の自分のために頑張る』という感じで乗り越えることができました」。今回も同じ思いを胸に、日々前進を図る。
すでにキャリアハイの61試合、239打席に立っているが、まだまだ満足はしていない。「(患部は)少しずつ良くなってきています。慎重さも大切にしながら、ちょっとでも早く試合に戻れたらなと思っています」チームの未来を担う23歳。満身創痍の体を癒し、出番に備える。
○真柴健(ましば・けん)1994年8月、大阪府生まれ。京都産業大学卒業後の2017年に日刊スポーツ新聞社へ入社。3年間の阪神担当を経て、2020年からオリックス担当。オリックス勝利の瞬間に「おりほーツイート」するのが、ちまたで話題に。担当3年間で最下位、リーグ優勝、悲願の日本一を見届け、新聞記者を卒業。2023年からFull-Count編集部へ。
(真柴健 / Ken Mashiba)