味わった過熱報道「メディアって怖い」 阪神ドラ1の戸惑い…向けられた先輩からの“白い目”
的場寛一氏はドラ1で阪神入団も…当初から続いた戸惑いの日々
思ってもいないことばかりだった。九州共立大・的場寛壱内野手は1999年ドラフト1位(逆指名)で阪神に入団した。大学球界ナンバーワン遊撃手の高評価を得てのプロ入り。2000年は阪神・野村克也監督の2年目シーズンで、期待の星でもあった。しかし、最初から“流れ”が悪かった。メディアの多さに戸惑い、先輩選手の視線には冷たさを感じ、キャンプでは左脇腹肉離れ……。誤算だらけのプロ生活の幕開けとなった。
当時の逆指名枠を使っての獲得を西武、近鉄、阪神、中日の4球団に打診され、的場氏は早々に1位を確約した阪神を選んだ。1999年、大学4年の福岡六大学野球春季リーグが終わった後に決断した。担当の永尾泰憲スカウトの熱意もとても感じたそうだ。そこからはプロ入りへの準備段階。同年春の全日本合宿で肘を痛め、春季リーグは思うような成績を残せずチームも2位に終わったが、回復させて臨んだ秋季リーグは優勝に貢献した。
11月19日のドラフト会議直前に行われた明治神宮大会(11月13日~16日)で、九州共立大は神奈川大、立命館大、青山学院大、東海大を撃破して初優勝。的場氏は立命館大との2回戦で、剛腕・山田秋親投手(元ダイエー・ソフトバンク、ロッテ)から一発を放つなど、阪神逆指名ドラ1の存在感を見せつけた。ここまではいい流れだったが、12月の入団会見ごろから戸惑いの日々が待っていた。
「記者の人に『甲子園で打ちたい?』と聞かれて『打てたら最高ですね』と答えたら、新聞に“的場、初打席、甲子園、右中間ドカン”とか“1打席目(巨人)上原打つ”みたいな記事が出て、メディアって怖いなって思いました」と苦笑する。経験したことがない取材陣の数だったし、ひと言、口にしたけでも大きく扱われることに驚くばかりだったそうだ。さらにはこんなこともあったという。
「年明けにおばあちゃんの家で寝ていたら球団広報から電話があって『1月4日は空いている?』と聞かれて『はい、空いてます』と言ったら『練習場所がないなら甲子園でしたら』ってなったんです。急いで友人に『キャッチボールの相手してや』って声をかけました。『甲子園に行けるらしいで』『マジで』なんて話をしてね。で、行ったら記者の人たちがメチャメチャいて……。後で記事を見たら、何か僕が甲子園を開けてくれって言ったみたいになっていて、またびっくりでした」
1年目キャンプは野村ミーティングもヘトヘト…第3クールで脇腹肉離れの苦難
これはルーキーの“甲子園貸し切り自主トレ”として話題になったが「内野も外野も入れないからファウルグラウンドでキャッチボールとペッパーくらいしかしていないんですけどね。まぁ、みなさんよかれと思ってやってくれたと思うんですけどねぇ……。何か阪神の先輩たちからも白い目で見られていたような感じだったんですよ。生意気って思われたんじゃないですかねぇ。何か当たりが強いなぁ、みたいな」。何かしらおかしな“流れ”を感じ始めた頃だった。
それでもキャンプインに向けて的場氏は胸を躍らせていた。「ヤクルト時代の野村ノートとか、噂や情報も入っていたので、いよいよ勉強できるんやなぁって思っていましたからね」。しかし、2月1日の1軍キャンプ初日も戸惑いから始まった。「まず朝の散歩のカメラの台数に驚きました。目が覚めました。これは眠い顔とかしていたらアカンわってね。球場に入ってもカメラがずっと……。バッティング練習でもケージ越しにカメラが何十台も構えているし」。
プロでは当たり前のことでも、的場氏にとっては初体験。「バッティングも集中できなくて、いつも通りのスイングができないというか、ちょっと背伸びしようとした自分がいたり、何かフワフワして初日が終わった思い出がありますね」。練習が終わり、食事の後に楽しみにしていた野村ミーティングがあったが「もうヘトヘトで……。礼に始まり礼に終わる、野球人である前に社会人であれ、とかノートには書いていましたけど、その後に夜間練習ですし……」。
注目のドラ1ルーキーは肉体的にも精神的にも余裕がない日々だったという。「ミーティングも2日目からは打者心理とか、投手心理とかの話もしてくれたんですけど、ノートに書き写すだけで頭には入ってこなかった。しんどくて、とりあえず寝たらアカンってことだけでしたね」。第3クールでは体に異常が発生した。「いつも見られている感じの中で頑張ってバットを振っていたら、左脇腹を肉離れしちゃったんです」。これが最初のつまずきだった。
「練習の時にちょっとおかしいとは思っていたんですけど、我慢してやっていたんですよ。そしたら……。一応戦力として見てもらっているので、打つのは無理でも、守備のフォーメーションとか牽制とか、バントシフトとか覚えなさいということで1軍に帯同していましたが、怪我したことで大騒ぎで報じられましたからねぇ。見たくないけど目に入るんですよ」。誤算だらけのスタートだった。辛い毎日になった。そして悪い“流れ”はまだまだ続いていった。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)