鷹・田上が希少疾患の発症を公表 会見で涙…3か月静養で寛解も「生きた心地がしない日々」
2020年ドラフト5位で大阪・履正社から入団…「ランゲルハンス細胞組織球症」を発症
ソフトバンクは9日、高卒4年目の田上奏大投手が「ランゲルハンス細胞組織球症」を患っていたことを発表した。球団によると免疫系の希少疾患の1つで、背骨が溶ける症状が出ていたという。今年2月の春季キャンプ中に発症し、3か月ほどの静養期間を経て、現在は寛解している状態だという。この日、田上はみずほPayPayドームで行われた3軍戦で復帰登板に臨み、6回からマウンドへ。任された1イニングを3者凡退に仕留めた。
降板後に取材対応し「1月から背中が張っている感じがあって、キャンプに入ってランニングが多くなってから痛み始めた。治療をしてもなかなか(痛みが)取れなくて、夜も寝られないくらいの痛みがあった。さすがにおかしいと思いましたし、体調も良くなかった。キャンプなので無理してやろうと思っていたんですけど、トレーナーの人に早めに病院に行ったほうがいいと説得されて(病院に)行った感じです」と説明した。
今春キャンプ中の第1クールが終わった頃、背中の痛みや発熱などの症状が出た。病院でMRI検査を受診。同日に取材対応した三森哲司ディレクター補佐兼メディカルコーディネータ代行は「背骨のところがちょっと透けて見えるというか。大きな病気の可能性があるから精密検査をした方がいいとなったので、すぐに(キャンプ地の宮崎から)福岡に戻した。その後にセカンドオピニオン、サードオピニオンももらいました」と説明。その後、田上は大阪の実家に戻るなどして、約3か月間静養した。
検査中は「背骨が溶けていると言われて、溶けるって何やろうって思って、気持ちが悪くなりました。明日から精密検査しようとなり、すごく不安になった。調べたら、重い病気がいっぱい出てきて、吐き気もしてきた。生きた心地もしなくて、病名がわかるまでが怖くて、あんまり生きた心地がしない日々が続いていました」と振り返った。
「家族も暗い感じじゃなくて、いつも通りでいてくれました」
病名を聞いた時は「一番はじめは親に電話をしたんですけど『大丈夫だから』と言ってもらった。結果が出るまで2週間くらいあったんですけど、実家に帰った方がいいと思った。結果を待っていた時、家族も暗い感じじゃなくて、いつも通りでいてくれました。不安はありましたけど、忘れられる時もあったので、感謝したいです」と涙を流した。
「ランゲルハンス細胞組織球症」は免疫系の疾患の1つとされ、田上の場合は第11胸椎の椎体に発症したという。三森メディカルコーディネータ代行は「骨を溶かし、壊していったことで、病的な疲労骨折になっていた」と言及。その後の経緯については「病気の進行とか広がりもなくて、骨(の密度)が埋まってきたことが分かったので、徐々に負荷をかけられるようになっていった状況でした」と、回復具合について語った。
手術の選択肢もあったが、最終的には田上本人の希望もあって保存療法となった。アスリートの症例については、「(主治医は)見たことがない」とされ、現状については「寛解しているというところ。主治医の先生からは3年から5年は経過観察した方がいいと言われています。再発(の可能性)は『ゼロではない』と(話していた)」と説明。現在は月に1度、定期的な病院受診をしながら、経過観察をしているという。
病気を公表した理由については「こういう病気になるのも珍しいと思います。今回かかった病気は、子どもたちの方が罹りやすい。自分は成人で珍しいケースだった。自分と同じ思いをした人が、不安がある人が自分を見て、勇気とか頑張ろうと思ってもらえるように。こういう立場なので、公表して自分も頑張りたいなと思いました」と明かした。
小久保監督とは4月に筑後の食堂で会い「ご飯を食べられているか? と言われて『じゃあ大丈夫や』と言ってもらった時、うれしかったです。焦らんと、ちゃんと治せって。うれしかったです」と笑顔を見せた。
田上は大阪・履正社高から2020年ドラフト5位で入団した。プロ1年目を終えた2021年オフに育成契約を結び、2022年のシーズン開幕直後に支配下へ復帰した。プロ4年通算で1軍戦に2試合に登板して防御率2.45。今季はファームでの登板もなかった。
(Full-Count編集部)