プロ6球団を動かした“転機” 頭になかったプロ入り…無名左腕の運命変えた唯一の大会

元オリックス・星野伸之氏【写真:山口真司】
元オリックス・星野伸之氏【写真:山口真司】

星野伸之氏は旭川工2年の秋に支部大会決勝で大敗「ボッコボコ」

 阪急・オリックス、阪神で通算176勝を挙げた伝説の左腕・星野伸之氏(野球評論家)の旭川工での最高成績は1983年、3年春の旭川支部大会を突破しての北海道大会1回戦負けだ。敗れたものの、その試合でプロから注目されるようになり「あれが転機でした」と振り返る。そんな中、高校時代で忘れられないのは2年秋の旭川支部大会決勝・旭川龍谷戦。突然、捕手までの距離が遠く見える事態に陥ったという。

 旭川工では2年から主戦投手になった星野氏だが、甲子園には縁がなかった。2年夏は北北海道大会旭川代表決定戦に駒を進めたが、旭川北に2-4で敗れた。「打たれたのは覚えてないけど、緊張したのは覚えていますね」。そんな星野氏が強烈な思い出として語ったのが2年秋の旭川支部大会決勝の旭川龍谷戦だ。「それまでは高校のグラウンドなどを使ったりしていたのが、初めて球場らしい球場で投げたんですよ。そしたら……」。

 マウンドからの景色が違いすぎたという。「高校のグラウンドとかと違って、(スタンドがあって)後ろが広いじゃないですか。何かキャッチャーがものすごく小さく見えて、こんなに遠いのって思ったんです。同じ18.44(メートル)なのにね。びっくりして、コースを狙うことができなくなって、ストライクを投げようと思ったら、真ん中しかいかないんですよ。だからボッコボコ。龍谷も強かったし、どうしようもなくて8点取られて(0-8で)負けました」。

 とにかく衝撃的だった。「家に帰っても何でだろうって思いました。何でこんなに距離感が違うのかなっていうのはしばらく悩みましたね。どうやったら克服できるのかってね」。それで取り組んだのがキャッチャーだけを見るスタイル。「帽子のつばを曲げて、ちょっと顎を引くとキャッチャーだけしか見えないわけですよ。それでずーっと練習していました。顎を上げると全部見えるんで、おそらくそうじゃないかと思って」。

旭川工3年春の北海道大会初戦で13K…一躍プロ注目の存在に

 それを続けていたら広い球場でも問題なくなったそうだ。「いつもそういうところで投げていたら、そんなふうにはならなかったんでしょうけどね。でもそれはいい経験でしたね」。3年春は旭川支部大会決勝で旭川大高を3-0で破って、北海道大会に進出した。1回戦で北海道日大に2-4で敗れたが、この時はもうキャッチャーを遠く感じることはなかった。「北海道日大も強かったけど、13個くらい三振を取った。負けたのもエラーがらみだったし……」。

 それは星野氏が高校3年間で唯一出場した北海道大会だったが、「転機になりましたね。プロのスカウトが見に来ていましたから」と話す。その試合の投球内容で一躍プロも注目する存在になった。「おそらくスカウトは他の試合のための席取りをしていて、僕らの試合に興味があったわけではなかったと思う。でも、まぁまぁのピッチングをしたので、ちょっと面白いかな、くらいにはなったんじゃないでしょうか」。

 ストレートとカーブのコンビネーションで奪三振も増えた。3年夏の大会前の練習試合では17奪三振。「砂川北が相手だったんですけど、けっこう(三振を)取ったなとは思っていました。でも、スカウトはその試合を見ていなかったと思いますけどね」と言うが、巨人、日本ハム、阪急、近鉄、ロッテ、広島の6球団から声がかかった。球は遅いし、体も細いがカーブは面白い。鍛えれば球も速くなるし、体も大きくなるだろうと見込まれてのことだった。

「最初はプロなんて思ってもいませんでしたけどね。まぁ、社会人には行けるかなってくらいの感じ。親父にも金銭的に大学には行かせられないから、行くなら社会人に行ってくれって言われていましたしね」。その後、星野氏の野球人生はどんどんレベルの高い方へ進んでいくが、それも地道な努力で、球場の広さに戸惑うことなく、本来の投球ができるようになっていたからでもある。「キャッチャーが小さく見えた」2年秋の苦い経験もプラスに変えたわけだ。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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