退部直訴も…監督に出されたまさかの“条件” 元首位打者の運命変えた部員20人の行動

ロッテで活躍した西村徳文氏【写真:町田利衣】
ロッテで活躍した西村徳文氏【写真:町田利衣】

通算363盗塁の西村徳文氏が振り返る高校時代「辞めようと思っていた」

 パ・リーグ史上初めてスイッチヒッターとして首位打者を獲得したのが、ロッテ一筋で16年間プレーした西村徳文氏だ。4年連続盗塁王やベストナインにも輝き、現役を引退後も監督としてロッテを日本一に導くなど輝かしい功績を残した。しかしその野球人生は「しょっちゅう辞めようと思っていた」というスタート。高校1年時には野球部の退部届を出したことがあった。

 宮崎県串間市出身の西村氏は、中学3年の県大会で優勝。宮崎市内の私立校からの誘いも受けながら、串間市内に1つしかなかった福島高に進学した。甲子園には1度も出たことのない高校だったが、中学時代の先輩の多くが在籍。気兼ねない環境に身を置いた。

 しかし1年秋、練習をさぼるようになっていった。「同級生の子たちが放課後に私有地に集まってオートバイに乗っている。それがめちゃくちゃ楽しそうに感じたんですよね」。次第に自身もオートバイに夢中になり、足は野球部から遠ざかっていった。

 西村氏は当時のキャプテンに野球部を辞めると伝え、監督のもとへ出向いた。退部理由を聞かれ、オートバイのことは言えずに「気持ちが野球に入らない」と答えると、「わかった、辞めても構わない」との驚くほどあっさり“了承”された。しかし監督はこう続けた。「1つだけ条件がある。お前に代わる、同じレベルの力を持っている選手を連れてきたら辞めさせてやる」。狭い市内で今さら……そんな人を探すのは不可能だった。

部員20人が家の前で“説得”「『戻ってこい、一緒にやろう』と…」

 むしゃくしゃしながら数日後、オートバイを楽しんでから帰宅すると、ユニホームを着た1、2年生の野球部員20人ほどが家の前の道路で待っていた。「『野球部に戻ってこい、一緒にやろう』と言ってくれたんです。あの光景は今も目に焼き付いて忘れることはないですね。あとは親父が、あまりモノを言う人じゃなかったんですが『人様に迷惑を掛けることは絶対にするな』と」。

 それをキッカケに西村氏は野球部に戻ることになる。誰一人として悪いことを言う部員はいなく、「よく帰ってきてくれた。また一緒に野球をやれる」と歓迎してくれた。「そういう人たちのおかげ。今も田舎に戻って集まって飲んだりすると『あのとき辞めていたら今はないな』と言われるんですよ」。通算363盗塁のスピードスターは、こうして野球の道をつないだ。

(町田利衣 / Rie Machida)

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