“縁起悪い”プロ野球初の背番号 まさかのアクシデントも「痛いなんて言えない」

広島などの4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】
広島などの4球団でプレーした長嶋清幸氏【写真:山口真司】

元広島・長嶋清幸氏、プロ4年目にNPB初の背番号0で飛躍

 元広島外野手の長嶋清幸氏は背番号を「66」からNPB初の「0」に変えたプロ4年目の1983年、一気に飛躍した。130試合制の当時、全試合に出場して、打率.295、13本塁打、57打点。入団以来、最大の課題だった守備も著しく上達し、ダイヤモンドグラブ賞(現ゴールデン・グラブ賞)も初受賞だ。春のキャンプで首を痛めたが、オープン戦にそのまま突入。ゲームに出ながら治し、結果も出した。「だって鉄人・衣笠(祥雄)さんがいたから」と振り返った。

 プロ1年目が10試合、2年目は36試合、3年目は79試合と長嶋氏の出場試合数は、その進化に合わせて年々、増えていった。私立静岡県自動車工(現・静岡北)からドラフト外で広島入り。静岡県内では知られた存在だったが、全国的には無名に近い170センチの小柄な外野手が、山本浩二外野手、衣笠祥雄内野手、高橋慶彦内野手らスター揃いの黄金期のカープの中でも、目立つ存在になっていった。

 4年目シーズンからは背番号が「66」から日本プロ野球史上初の「0」に変わった。これも球団から期待されていた証で、大きな話題になり、注目度もアップしたが、これまで以上の気合、気迫でさらに練習に励み、初の開幕スタメン(6番・右翼)をつかんだ。全130試合に出場するなど、結果も残した。「大学に行っていたら4年生の年だよね」。プロ入りの際には「3年で駄目なら辞める」と決めていたが、それを努力と鍛錬でクリアしたところで、さらに飛躍した。

「ゼロは元々好きな数字だった。0、1、2、3って、やっぱり一番最初の数字ってところがね。だから背番号もそれにしたいと思ったんだけどね。でも、最初、その考えを人に言ったら、ゼロをつけて、ヒットゼロ、打点ゼロ、1軍試合ゼロとかに、もしなったら縁起悪いし、最悪ってことにならないかって話にもなったんだよね。そしたら、誰かが調べてくれたんだよ。メジャーリーグで0番をつけて成績を残している選手がいるってね」。

 海の向こうではアル・オリバー外野手がレンジャーズ時代の1978年から「0」をつけており、エクスポズに移籍した1982年にはナショナル・リーグトップの204安打を放ち、首位打者(打率.331)と打点王(109打点)に輝いていた。同じ左投げ左打ちの外野手でもあるオリバーの存在が長嶋氏の背中を押した。「オリバーは背番号0で、そんなに体は大きくないけど、2冠王を獲っているぞって聞いて、じゃあ、いいのかな、みたいな話になってね」。

背番号と顔が写るように「真後ろを見てくれって」

 広島・古葉竹識監督に相談し、球団を通じて連盟に使用可能かを確認してもらい、カープの「背番号0・長嶋」が誕生した。1983年の広島のキャッチフレーズが「START FROM ZERO」。前年(1982年)4位からの巻き返しを期して、ゼロからの出発ということだったが、それにも背番号0がマッチして、なおさら注目を集めた。沖縄市営球場と日南市営天福球場で行われた春季キャンプでは連日のように、0番姿の写真撮影があったそうだ。

「ずっとだった。ハンパじゃなかったね。しかも横を見ろ、じゃないから。(背番号とともに顔が写るように)真後ろを見てくれって言われてね……。それで首が痛くなっちゃったんだよ。ホント、痛かった。寝違いみたいな状態になってしまってね」。まさかの首痛を抱えたまま、オープン戦に突入したという。「だって、俺ら、痛い、かゆいなんて言えないから。鉄人・衣笠さんがいたからね」と当時を思い起こした。

 死球で左肩甲骨を骨折しながらも出場を続けるなど不死身の体と言われ、のちに日本記録の2215試合連続出場(1970年10月19日~1987年10月22日)を築き上げた衣笠の姿を見れば、この程度の首痛くらいと奮い立った。長嶋氏もオープン戦に出ながら、コンディションを整え、ついには初の開幕スタメンの座もつかんだ。4月9日の中日との開幕戦(ナゴヤ球場)に「6番・右翼」で出場して5打数2安打。試合も広島が9-5で勝利した。

 そこから赤ヘルの背番号0は躍動した。打つだけでなく、守備でも魅せるようになった。長嶋氏はこう言う。「結局、俺は広島に入ったのがよかった。すごい選手ばかりだったから。スター選手がどういう生活をして、どういう練習をして、どういう考えの中で野球をやっているのか。監督もコーチも裏方さんもそう。何をするにもお手本がいた。何にも教えてはくれないから、自分でどうやってうまいこと聞き出したらいいか考えたりしてね。それが財産になった」。

 そんな環境に持ち前の負けん気が加算された。やられたらやり返す。抑えられたピッチャーには対抗心を燃やして、結果でお返しした。「打っていないピッチャーは何とかしようと思ったからね。でも、相性のいいピッチャーの方をおろそかにして逆にやられちゃうことも多かったんですよ」と笑ったが、その底知れぬ勝負強さなど、広島の背番号0は他球団にとっても脅威の存在になっていった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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