2軍で首位打者も「お前は一番下手」 コーチがバッサリ…元虎戦士が志願した“顔”の変更

元阪神・狩野恵輔氏、正捕手・矢野に弟子入り
阪神で17年間プレーした狩野恵輔氏(野球評論家)はプロ7年目の2007年に1軍で活躍するようになった。前年の2006年にウエスタン・リーグ首位打者に輝くなど2軍で結果を出したものの、1軍では通用せず「このままならホントに終わる」と危機感を抱き、オフの間にもう一度、やり直してのことだった。金本知憲外野手と矢野輝弘捕手の2人の偉大なる先輩の下で鍛錬したのがプラスになったという。
プロ6年目の狩野氏は2軍で10本塁打、44打点。打率はウエスタン・リーグトップの.348と大きく成長した。だが1軍では1試合に出ただけの2打数無安打。1軍と2軍のレベル差を痛感し「メチャクチャ、ショックでした」という。しかし、打ちのめされたところから巻き返すのが真骨頂でもある。このままでは終われない。何かを変えなければいけない。そこでまず考えたのが正捕手・矢野への弟子入りだった。
「納会の時に矢野さんに『一緒に自主トレをやらせてもらえませんか』と頼んだんです。“いいよ”って言ってくれると思ったら『なんでや』と言われました。確かに考えたら、同じキャッチャーに何で教えないかんねんって思うはずですよね。それでも『矢野さんにちょっと教えてもらいたいし、キャッチャーとしてこのままでは無理だと思うんで、いいでしょうか』と言ったら『俺は甲子園で自主トレやで』って。それでやらせてもらうことになったんです」
さらには金本がカープ時代の若い頃から、ずっとそこで肉体強化をしたことでも知られる広島の「トレーニングクラブ アスリート」に行くことにもなった。金本と親しいマスコミ関係者から「行ってみないか」と声をかけられたのがきっかけだったという。「アスリートのジムの社長(平岡洋二氏)が、その人に『阪神の若手でイキのいい奴はおらんのか、金本が来ているんだから、それについて来るヤツはおらんのかなぁって』って話をしたらしいんです」。
数人の若手に打診があり、狩野氏もその中の1人だった。「『ちょっと興味があります』と言いました。そしたら、じゃあ、行ってみようとなった。2軍だし、お金はなかったけど、嫁にも聞いて『行ってもいいよ』ってことでね。新幹線で行きました。で、ジムで社長に見てもらったら『メチャクチャ数値がないなぁ。足はまぁまぁ強いかな』と言われて……。その時点では全然アカン、もう行くのはやめよう思ったんですよ、それが……」。
とにかく平岡社長が熱く誘ってくれたという。「『お金とか、そんなのはあとでいいから2泊3日で来られたら来てくれ』って言われて、それで行くことにしました。メチャクチャ優しい人で最初に行った時は『ウチに泊ってええけ、飯も食べさせてやるから』と全部やってくれたんです。僕にお金がないのをわかっているからです。その後もウイークリーマンションを紹介してくれたり、知り合いを通じてホテルに安く泊まらせてもらったり、そんな感じでオフの間に通いました」。
「すごい大事なもの」…背番号を「63」から「99」に
ジムでは金本に遭遇することもあったそうだ。「ジムの上にティーネットがあって、そこでカネさんに教えてもらいました。軸の回転。『バーンと強く打ちたがるけど、そうじゃなくて回転で打てるように、それだけは徹底的にやれ』と言われました。それ以来、そればかりやりました。そしたら、体にだんだんと染みついてきたんですよ」。
広島のジムに行くことは弟子入りを志願した矢野にも事前に話したという。「矢野さんに『金本さんのウエートのところから話があって、行ってみようと思います』と言いました。そしたら『全然いいよ、気にせずにそっちに行けよ』って言ってくれて。『でも技術的なことはちょっとお願いします』と言って、僕は矢野さんとカネさんの2人ともにつく形になったんです」。
背番号も「63」から「99」に変えた。「背番号は野球選手にとってすごい大事なもの。これも変えたいと思ったんです。で、一番みんなに覚えてもらえる数字は何かと考えて99がいいなと。100番から(支配下)選手ではなくなるんで、一番最後の数字。よく師匠の吉田(康夫)コーチに『お前は一番下手だから練習しろ、だけど試合になったら一番うまいと思ってやれ』と言われていたし、一番下手な99番みたいな感じでいいんじゃないかとね」。
2006年シーズンの阪神で「99」をつけていた筒井壮内野手が現役を引退して、コーチになるタイミングでもあった。「僕は2軍で首位打者を獲ったし、そういうのも言えるかなと思って球団にお願いしたんです。99番をつけたい理由も話して『つけさせてもらえませんか』ってね。球団から筒井さんにも話してもらって『いいよ、あげるよ』と許可してもらったんです」。
プロ7年目の2007年、背番号「99」となった狩野氏はプロ初安打や初本塁打もマークするなど1軍の壁を一つブチ破ることになる。それは何かを変えなければいけないと自らに「スイッチ」を入れて、必死になって取り組んだ2006年オフがあってのこと。広島のジムで肉体を大強化し、金本&矢野の超一流の技術に触れ、精進したことが大きなプラスになった。「それは間違いないです」とうなずいた。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)