優勝翌日に落合監督から「もう雇わない」 FA加入も4年で0勝…引退決断した沢村賞右腕
引退時代に登板した中日時代の川崎憲次郎氏【写真提供:産経新聞社】川崎憲次郎氏は2004年に超サプライズの開幕投手も2試合連続KO
2001年に中日に加入した川崎憲次郎氏は、2004年限りで戦力外通告を受け、現役引退を決断した。移籍1年目の3月に発症した右肩の痛みは癒えることはなく最後まで苦しみ続け、4年間で未勝利、わずか3試合の登板に終わった。
移籍直後のオープン戦で負った怪我により、2年間はボールを投げることすらできず、3年目にようやく実戦復帰した。1軍のマウンドからは3年間遠ざかっていたが、落合博満監督の超サプライズで2004年は開幕投手を務めた。この年は4年契約の最終年とあって「結果を残さなければクビだなとずっと思っていた」という。4月に2試合連続でKOされ、ファームで調整していたがその後は声がかからなかった。
チームが5年ぶりのリーグ優勝を果たした翌日の10月2日。ファームで練習していると「1軍の監督室に来てくれ」と電話がかかってきた。何を言われるかはもう、わかっていた。覚悟を決め、落合監督からの“直接通告”を受けた。「『ドラゴンズはもう雇わない。辞めるなら明日投げろ。家で母ちゃん(妻)と決めてこい』と言われましたね」。
川崎氏は16年間のプロ生活に区切りをつけることを決めた。「あの体じゃできない。自分の球じゃないし、見せられる球じゃない。『辞めます』って言った瞬間に、もうプロ野球選手ではいられなくなる寂しさはありましたし、決断するのはしんどかったです。でも、もうできないという方が大きかったので……」。10月3日、用意された引退試合は古巣のヤクルト戦だった。両軍ナインに胴上げされ、万感の思いで幕を下ろした。
取材に応じた川崎憲次郎氏【写真:町田利衣】「寝ずに考えた結果がドラゴンズだった。悔しさはあるけど悔いはありません」
(町田利衣 / Rie Machida)
Restart_川崎憲次郎編
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