あえて選んだ2軍での引退試合 レギュラーわずか1年も…阪神一筋17年の野球人生

引退試合でナインから胴上げされる阪神在籍時の狩野恵輔氏【写真提供:産経新聞社】
引退試合でナインから胴上げされる阪神在籍時の狩野恵輔氏【写真提供:産経新聞社】

元阪神・狩野恵輔氏、引退試合で捕手&最後の打者

 終わりよければすべてよし。野球評論家の狩野恵輔氏は2017年限りで幕を閉じた17年間の現役生活を振り返った上で「完璧な最後でした」と言い切った。2017年9月27日、ウエスタン・リーグ広島戦(甲子園)での引退試合。「4番・DH」で出場して、9回には安藤優也投手との2009年開幕戦バッテリーを再現し、その裏の攻撃では「キャッチャー狩野」の場内アナウンスで打席に……。「後悔はいっぱいありましたけど、それも……」。まさに忘れられない試合になった。

 2017年の狩野氏は開幕から調子が上がらず、2試合に代打出場して2打数無安打で4月5日に登録抹消。8月26日に1軍復帰して3試合に代打で出たが、以前の自分に戻ることはできず、3打数無安打で9月4日に再び抹消となった。5月頃から覚悟していた引退を表明し、9月18日には会見を行った。2000年ドラフト3位で群馬県立前橋工から入団して、阪神一筋17年。球団からは1軍での引退試合の打診もあったが、あえて2軍で終わることを選択したという。

「僕はファームが長かったですからね」。汗を流し続けた下積み期間があったからこそレギュラー捕手になるなど、1軍で輝けた。腰痛のため2012年オフに育成契約になっても、諦めなかったからこそ、代打の切り札にもなれた。2017年9月27日、そんな苦しい思い出が詰まった2軍で狩野氏は現役最後の時を迎えた。掛布雅之2軍監督もこの年限りでの退任が決まっており「次の日(9月28日)が掛布さんのラスト試合。僕はその前の試合でやらせてもらいました」と言う。

「好きにしていいということだったので『4番・DHで、最後の1人だけキャッチャーを守らせてください』とお願いしました」。8回裏の第4打席では同じく引退する元阪神の広島・江草仁貴投手から左翼線に二塁打を放った。4-4の9回表2死からは、これまた引退を表明している安藤とのバッテリーでマスクをかぶり、打者1人を三振。その裏2死走者なしで広島バッテリーが3番・陽川尚将内野手を敬遠し「4番キャッチャー狩野」として最後の打席にも入れた。

 結果は中飛だったが、大満足の試合だった。「安藤さんと(2009年の)開幕の時のバッテリーで組ませてもらいましたし、文句のつけようがない完璧な最後でした。子どもたちにも見せることができたし、本当に最高な。終わりよければすべてよしとは、こういうことだと思いました。もうすっきり終わりました。後悔はいっぱいありますけど、最後で全部なくなったというか、ああ、楽しい野球人生だったなぁってね」

 試合後は胴上げされた。「今までされたことがなかったし、初めてがあの場所で最高でした」。掛布2軍監督から花束を贈られたのも感激だった。「あんなレジェンドの人が持ってきてくれて、すごい幸せだったし、野球を頑張ってきてよかったなぁと思った。全部報われた気がしました」。前橋工時代に「上州の掛布」と呼ばれただけに「それも縁ですかねぇって掛布さんとも話すんですよ。すごいつながり。今もかわいがってもらっています」とうれしそうに明かした。

元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】
元阪神・狩野恵輔氏【写真:山口真司】

「今を必死に生きる。それは野球をやっている時からそう」

 狩野氏は引退後の2018年からは野球評論家として活動し、野球人生を継続させている。通算18本塁打、91打点で安打数はちょうど200。「解説者の中ではトップクラスで成績を出していないけど、スター選手が経験していないような経験をした。育成になったりもしたし、ファームで苦しんでいる選手の顔も見ているし、そこから羽ばたいていった選手も見ている。そういうところも伝えていきたい」と現役時代同様、常に全力で仕事をこなす日々だ。

「1軍に出ている選手が素晴らしいのはもちろんですけど、それだけが素晴らしいんじゃなくて、違うところにもドラマがいっぱいある。全部が全部、トップレベルの話をしたら、そりゃあ面白いかもしれないけど、僕はちょっとそっちの方にもフォーカスしてというか、華々しいところだけをしゃべるのではなく、苦しいところもしゃべって、そこからどうやっていくかもしゃべってあげたいと思っています」と意欲的に話す。

 もちろん、古巣に対しては特別な思いも抱く。2025年の阪神は藤川球児監督体制でV奪回を目指している。狩野氏にとって藤川監督は若手の頃からいろんなことを教えてもらった恩人。「僕は球児さんに育ててもらった部分も多いんですけど、皆さんが思っている以上に厳しさを持っている監督だと思いますよ。プロ野球は優しく、甘いだけでは絶対無理ですし、これから先もメチャクチャ楽しみです」と熱い視線を送っている。

 群馬県出身で少年時代は熱狂的な西武ファン。プロに入るまで関西には修学旅行でしか来たことがなかった狩野氏だが、今ではすっかり関西弁も巧みに操る。人望が厚い元虎戦士として知られており、この先の野球人生もいろんな展開が考えられるところだが「そういうのは何も考えていないし、今、やっている仕事を必死にやるだけです。今を必死に生きる。それは野球をやっている時からそうです」とサラリと言う。

 少年時代も、前橋工時代も、阪神時代も、すべてが順調に進んだことは一度もなかった。何度も打ちのめされ、何度も挫折し、そこから立ち直っては、また……。阪神でレギュラー捕手になったのは2009年シーズンだけ、代打の切り札と呼ばれたのは2016年シーズンだけだが、そこにたどりつくまでの道のりは、決して誰もが真似できることではないし、次の世代につなげる結果は出したといっていい。

「1軍に行って1年だけでもレギュラーで出て、落ちて、また上がるような選手が今後出たときに、そういや狩野って選手もおったなぁと言われるくらいにはできたんじゃないかと思います」。そんな貴重な経験は現在進行形の野球人生にもまだまだ役立っていくことだろう。1982年12月17日生まれの42歳。何事にも真摯に向き合う狩野氏には未知の魅力もあふれている。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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