ベンチで殴る蹴る…ドラ1にも容赦なし 中日指揮官に“抗えず”「言えるわけない」

中日時代の星野仙一監督【写真提供:産経新聞社】
中日時代の星野仙一監督【写真提供:産経新聞社】

荒木雅博氏は若手時代、ベンチでは星野監督の隣に座っていた

 打ってよし、守ってよし、走ってよしの元中日の名選手・荒木雅博氏(野球評論家)はプロ2年目の1997年、初めて1軍に昇格したが、そんな若手時代、試合中のベンチでは星野仙一監督の横で“勉強”したという。「『ええか、こういう時はなぁ』って、いろいろ教えてもらいました」。ひとたび、スイッチが入ると鬼にもなる闘将だが、ベンチ内の椅子などを蹴り上げる“星野キック”も「最初はびっくりしたけど、不思議なもので慣れるんですよ」と話した。

 荒木氏はプロ2年目で19歳だった1997年5月31日のヤクルト戦(千葉マリン)で途中から遊撃守備、1打数無安打の1軍デビュー。2試合目の6月1日の同カードでは8番遊撃でスタメン出場し、2打数無安打で途中交代。3試合目は本拠地・ナゴヤドームでの6月3日の横浜戦にも8番遊撃でスタメン起用されたが、1打数1三振で、代打・愛甲猛内野手を出されて退いた。4試合目の6月7日の巨人戦(ナゴヤドーム)では終盤に代走から遊撃守備での出場だった。

 プロ入り初ヒットをマークしたのは5試合目の6月11日の広島戦(広島)で、途中から出て広島左腕・高橋建から右前打。翌6月12日の同カードでも途中出場で2打数1安打とプロ2安打目を記録した。8試合目の横浜戦(6月17日、平塚)では遊撃だけでなく中堅守備に就くなど、内、外野で使われるようになり、9試合目の6月19日の横浜戦(横浜)では2打数2三振に終わったものの、初めて2番(遊撃)でスタメンに名を連ねた。

 さらに14試合目の6月29日の巨人戦(ナゴヤドーム)ではプロ初盗塁。「初スタメンとか初ヒットは覚えているし、初盗塁も何となく覚えていますけどね」と荒木氏は記憶をたどったが、そんな1軍生活の初期に、とりわけ印象に残っているのが星野監督からの指導という。試合中は闘将の隣が当時の荒木氏の“指定席”。「1軍に上がったら監督の横にいるというのが若い選手の決まりでしたからね」。

 常に「グラウンドは戦場、ユニホームは戦闘服」と言い切る闘将はベンチでも鬼のような表情が目立つ。荒木氏が中日入りした1996年に星野監督の中日での第2期政権がスタート。1986年オフに39歳の若さで1軍の将に就任し、超血気盛んだった1991年までの第1期政権に比べれば、かなり穏やかになったとはいえ、怒りのスイッチが入った時は、やはり、まだまだすさまじい雰囲気だったはずだ。

元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】
元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】

怒ったあとには冷静…若手にも丁寧なアドバイス

「それでも、いろいろ話をしてくれたんですよ」と荒木氏は言う。「怒った後に冷静になって……。(若手の)僕らなんか、何にも関係ないじゃないですか。『ええか、こういう時はな』って。横浜にバッティングのいい選手が多くて、簡単にポンポンとフライを打ち上げる選手がいなかったということで、横浜戦では『ああいうライナーが打てるような選手にならんとアカンぞ、お前は』ってよく言われました。『ああいうことができるように、あの選手をずっと見とけ』とかもね」。

 言われて納得することばかりだったそうだが、もちろん“鬼”の部分も間近で見たという。試合中の星野監督で有名なのは“星野キック”。第1期政権時には「目の前の椅子を蹴ったら、座っていたキーちゃん(当時の木俣達彦総合コーチ)が浮いたもんなぁ」と闘将は笑いながら明かしたこともあったほど。のちに“扇風機パンチ”も話題になったが、定番はキックの方で、第2期政権の時も「蹴っていましたねぇ」と荒木氏は話した。

 その上でこう付け加えた。「最初はびっくりしましたけどね。不思議なもので慣れるんですよね。おっとって感じで……。もうこれはやばいぞっていうときの雰囲気もわかってきましたからね」。星野監督は計算して怒っていたとも言われる。ユニホームを着ている時と着ていない時では全然雰囲気も変わるし、怒った選手ほど使うというのも闘将流で、怖かったけど、誰よりも慕われていたのも事実だ。「第1期はもっとすごかったみたいですけどね」という荒木氏も恩師のひとりとして感謝しているのだ。

「星野さんに、『お前、初球からばかり走っていたら、そのうちアウトになるからな』って言われた時、僕はまだ失敗していなかったので『はい』と言って、また初球から行った時もありました。あの時はホントに足が速かったんで、アウトにならないと思っていましたもんね。でも、そんなふうに星野さんには言いませんでしたよ。ここまで出かかったけど、さすがに言えなかったです。言うわけないじゃないですか。あんな怖い人に……」

 それもまた笑って話せる思い出のひとつなのだろう。若手時代に星野監督の横で学んだことが、その先の荒木氏の野球人生に大きなプラスをもたらしたのも間違いない。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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