中日関係者の一言にカチン 温厚なドラ1が…昇格直前の“嫌味”「野球経験のない人に」

元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】
元中日・荒木雅博氏【写真:木村竜也】

荒木雅博氏は入団3年目に両打ちに挑戦

 中日一筋でプレーし、名球会入りも果たした荒木雅博氏(野球評論家)がプロで実績を積み始めたのは6年目の2001年シーズンからだ。それまで5年間通算で15安打、0本塁打、5打点だったのが、この年は111試合に出場して272打数92安打の打率.338、4本塁打、23打点と飛躍した。継続練習の成果であることはもちろんだが、キャンプでの山本昌投手からのひと言、オープン戦での星野仙一監督からの“指令”がきっかけにもなったという。

 荒木氏はプロ2年目(1997年)に1軍で63試合に出場したが、プロでやっていく上では「これでは無理」と考えて3年目(1998年)シーズンから左打席の練習を始め、スイッチヒッターに挑戦した。「最初の2年くらいは全くでした。どうやって打つんだ、って感じで……」。それでも持ち前の継続力で練習を重ねて「(スイッチを)やり始めて3年目(プロ5年目=2000年)になって、そこそこファームでは結果が出るようになりましたけどね」と話す。

 その間の1軍成績が苦闘を物語っている。1998年は7試合、1打数無安打。1999年は16試合、4打数1安打。ようやくスイッチヒッターとしての形ができてきた2000年も40試合に出場したが、10打数2安打とメインの仕事は代走、守備要員で、シーズン後半は1軍から呼ばれることはなかった。そこで荒木氏はまた危機感を抱いたという。「このままだったらいかんなぁと思いながら、そのオフが一番練習したかもしれないですね」。

 ただでさえ練習の虫が、さらに練習に明け暮れて打撃力強化に取り組んだところ、変わってきたという。「何か知らないんですけど、打てるようになってきたんですよ」。2001年の春季キャンプは2軍スタートだったが、その時からすでに「自分でもその年は何か打てそうな感じがしたんです」ともいう。振り返れば、そのきっかけにもなったのが、当時2軍で調整していた左腕・山本昌からの言葉だった。

「山本さんがブルペンに入った時『ちょっと(打席に)立っていいですか』と言って立ったら『あれ、お前、どうした。何か雰囲気、今年いいぞ』って言われたんです。ボールを振ったわけでもないのにね。あれはびっくりしましたね。立って構えてタイミングをとる姿が違ったんじゃないですかねぇ。『何か違う。ピッチャーからしたら嫌だな』って……」。ベテラン左腕のひと言は励みにもなったことだろう。そして1軍から声がかかった。

1軍昇格後…星野監督から“運命のひと言”

 荒木氏はその時に野球経験のないチーム関係者から投げかけられた言葉もよく覚えているという。「2軍キャンプが終わる、2月の終わりがけに1軍に呼ばれて、トレーニング場でいつも記入しながらやっているヤツを『明日から1軍なので、これも持っていきます』と言ったら『お前、どうせ帰ってくるんだから置いていけ』と言われたんですよ。野球をやっていなかった人に何でそんなことを言われなければいけないのだろうと思った時、初めて悔しかったです」。

 何か屈辱的なことが起きても、何か厳しいことを言われても、常に一歩下がった感じで「まぁ、そうだよな」と受け流して、練習に励むのが荒木氏の基本スタイルだが、この時はちょっと違った。「『そうですねぇ』と言いながら『でも(1軍で)何を言われるかわからないし、一応持っていきますね』と答えました。そこから持っていって帰ってないです。悔しさって、たまには必要だったのかなって思いました」。それが1軍に居続ける“原動力”のひとつにもなったわけだ。

 1軍に合流してのオープン戦では星野監督から“運命のひと言”があった。「西京極に行った時、星野さんから『お前、もう左はええから、右で立ってこい』って言われたんです。そしたらね、ポンポンと打ったんですよ。ライトオーバーと何かを右ピッチャーからね。で、そこからは右に専念です。もう楽で楽で、しょうがないんですよ。もう左のことを考えなくてよかったんでね」。それは左を経験したからこそのことでもあった。

 その時の“星野指令”について荒木氏は「(左打席が)見るに堪えなかったからじゃないですか」と苦笑する。「言われなかったら、その後もスイッチだった可能性はありますね。でも、たぶん駄目だったでしょうね。あのまま行けただろうって言う方もいらっしゃるし、結果はどうなっていたかはわからないけど、ま、自分がやってきたことが正解だったのかなと……」。

 右に専念した2001年シーズンからヒットを量産していく。通算23年の現役生活のうち、プロ5年目までは計15安打だったのが、6年目以降で2030安打。星野監督のひと言はやはり大きかったようだ。「あとから考えると、あの時、こういう言葉じゃなかったら、どうだったんだろうっていうのがいっぱいありますよね。だから指導者ってホント勉強して、いろんなことを考えながら発しないと……」と荒木氏は、現在、アマチュア指導も行う自身にも言い聞かせるように話した。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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