上がらぬ肩、イップス…落合監督から「技術がない」 名手が抱えた苦悩「やり直そう」

元中日の荒木雅博氏は2004年から6年連続GG賞獲得
ゴールデン・グラブ賞を6回受賞の元中日内野手・荒木雅博氏(野球評論家)は現役時代、右肩痛にずっとつきまとわれていた。「プロ2年目(1996年)だったかな、2軍でヘッドスライディングをして痛めました。そこから最後まで肩は痛いままでしたね」。それも関係して一時期、内野守備で送球難に陥ることがあったが、その状況をも打破して名手の道を突き進んだ。この裏にはオレ流指揮官からの痛烈なひと言があったという。
荒木氏はプロ6年目(2001年)に111試合に出場して1軍に定着。7年目の2002年は131試合出場し、シーズン後半からは二塁レギュラーの座もほぼ手中にし、初めて規定打席にも到達した(打率は.259)。8年目の2003年は初の開幕スタメン、3月28日の巨人戦(東京ドーム)に「8番二塁」で出場し、4打数1安打。4月16日の横浜戦(鹿児島)では1-3の9回表に右腕のマット・ホワイトサイド投手から逆転満塁1号本塁打もかっ飛ばした。
「打ちましたねぇ。覚えていますよ。ホワイトサイドからですよね。僕は(通算で)34本しか打っていませんけど、満塁ホームランは2本。割合はすごいですよ。まぁ、早い時期に打っただけで、たまたまですけどね」と笑いながら話した。この年は133試合に出場し、2年連続規定打席に到達しての打率.237、3本塁打、41打点、16盗塁。打率こそ前年よりも下回ったが、打点は前年の18から倍以上に増やした。
その一方で、内野守備に関してはこの頃から送球イップスに悩んでいた、とも言われている。これについて荒木氏は「そもそも肩が痛かったからですねぇ。言い訳もしたくないし、最後まで痛いとは言わなかったですけど……」と言い「まぁ、あれは、みんなイップスというと心(の問題)って言うけど、バッティングで打てないのと一緒の感じですかね」と続けた。
「時にはそういう時期もある。じゃあ、それが何年も続いたかと言えば続いていないし、ちょっとなって、またよくなってって感じ。外野にいってしまう人も多いけど、僕は内野手で居続けられた。ここっていう時にそれが出たとか、大事な場面でサヨナラエラーしたとかもなかったですからね。まぁ2000本打って、ここまで長くやったヤツがイップスに悩んでいたというと面白いから、そういうふうに言われていますけど、たまにある送球ミスみたいなものですよ」
2年目のヘッドスライディングで右肩を痛めた
プロ2年目に2軍でヘッドスライディングをした際に右肩を痛め、以来、それにつきまとわれてはいた。「最初はこれくらい、みんな痛いんだろうなと思っていたんですけどね。27歳の年(プロ9年目の2004年)くらいからは2週間に1回は痛み止めの注射を打ちにいっていました。そうしないと、もう肩が上がってこないんですよ」。送球難の背景にもそんな右肩の状態もあったわけだが、ある時から考え方も改めたという。
「もう1回最初からキャッチボールをやり直して、痛いなかでどうやって投げるかって考えたりとかね。肩が痛いからしょうがないと、そこに逃げるのではなく、しっかり投げていない部分に関しては認めないといけない。やり直そうと思ったんでね」。そのきっかけをくれたのが2004年シーズンから中日を率いた落合博満監督だった。「落合さんに言われました。『お前はイップスなんかじゃねぇー、技術がないんだ』ってね。そっから練習です」。
そんなオレ流指揮官のズバッと痛烈なひと言もあって、自身をもう一度見つめ直し、内野守備に関しても大きくつまずくことはなく、前進できたということだろう。荒木氏は落合体制になった2004年から6年連続でゴールデン・グラブ賞に輝き、6年連続で30盗塁をマークし、さらに安打数も積み重ねていく。落合監督はまぎれもない恩師のひとり。その影響力も大きかったようだ。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)