期待裏切るドラ1へ“通告”「このままじゃクビ」 2年連続防御率10点台→覚醒51登板のワケ

ロッテ時代の服部泰卓氏【写真提供:産経新聞社】
ロッテ時代の服部泰卓氏【写真提供:産経新聞社】

元ロッテ・服部泰卓氏、5年目オフ「来年がラストチャンス」

 2007年の大学・社会人ドラフト1巡目で3球団競合の末にロッテに入団した服部泰卓氏は、プロ1年目は1軍登板機会がないまま終えた。3年目の2010年にようやくプロ初登板も1軍に定着できず、5年目を終えた2012年オフの契約更改交渉で翌年がラストチャンスと伝えられた。2013年は「悔いなく、自分のやりたいことをやり切ろう」と開き直って臨んだ。信じたのは最も自信があったスライダー。開幕戦でプロ初勝利を挙げると、一気にブルペン陣で欠かせぬ存在となっていった。

 ようやく訪れたプロ初登板は入団3年目の2010年3月21日の西武戦(西武ドーム)。2-1と1点リードの8回2死、左打者の上本達之捕手を迎えた場面でマウンドに上がったが、左前打を許して降板した。チームはこのまま逃げ切り、開幕2戦目で西村徳文監督が就任初勝利を挙げたが、服部氏は素直に喜べなかったのである。「上本さんに打たれました。よく覚えています。西村監督になった年で、いい場面で使ってもらったのに、期待に応えられませんでした」。

 2度目の登板は3月27日の日本ハム戦(千葉マリン)。2点ビハインドの8回にマウンドに上がるも、1安打1四球を許して2/3回で降板。3月31日の楽天戦(同)は打者4人に対して3安打を許し1/3回で3失点。せっかくつかんだチャンスを生かせず、チームが下剋上日本一を達成したこの年は8試合に登板して0勝0敗、防御率14.29という苦しい結果に終わった。

 翌2011年はプロ初ホールドを記録したものの5試合で0勝0敗1ホールド、防御率10.80。2年連続での10点台だった。試行錯誤してフォームを横手投げに変更も、体に負担がかかって肋骨骨折と何もかもがうまくいかない。5年目の2012年は再び1軍登板なく契約更改交渉を迎えた。「来年がラストチャンスだからというようなことを言われたと記憶しています」。30歳の秋。結果を残せないでいた左腕は「6年目があるかないか分からないような状態で、チャンスがあった。そこでいろいろ思い出しました」と振り返る。

「それまで『結果を残さなきゃいけない』とか『このままじゃクビになってしまう』とか、そんな自分がコントロールできないことをコントロールしようと考えてました。でも、『もうラストシーズンだから、この1年は悔いなく、自分の得意なことを、やりたいことを、自分の好きなようにやろう』と思いました。この1年で野球人生が終わっても、それはそれでいいじゃないかと。『やりきって終わろう』っていう感覚で6年目を迎えましたね」

 無双状態だったトヨタ自動車時代のように、自分がコントロールできることだけに集中する決意である。「『この1年間は、思いっきり腕を振ってど真ん中にスライダーを投げ続けよう』と思ったんです。自分の一番得意な球はスライダー。7、8割はストライクが取れる。ある程度狙ったコースにいく。投げていても指にかかってコントロールできるから気持ち良かったんです。原点に戻ったら、やれることってそれだけだと開き直ってやりました」。この原点回帰が功を奏する。

取材に応じた元ロッテ・服部泰卓氏【写真:尾辻剛】
取材に応じた元ロッテ・服部泰卓氏【写真:尾辻剛】

開幕戦でプロ初勝利…6年目の覚醒、51試合登板20ホールド

 迎えた2013年3月29日のオリックスとの開幕戦(QVCマリン)。1-1で延長に突入し、12回に1点を勝ち越されると、なお2死一、二塁のピンチでベンチ入り最後の投手として8番手でマウンドに上がった。打席には糸井。3球連続でスライダーを投じて投ゴロに仕留めると、チームはその裏に犠飛でサヨナラ勝ち。打者1人を打ち取った服部氏に、うれしいプロ初勝利が転がり込んできた。「1勝できたので『プロ野球人生の、いい土産だな』って思いました。ご褒美を頂けたなって感じでしたね」。

 記念のウイニングボールは手元にない。犠飛の際、バックホームのボールがそれてグラウンドを転々。ナインの歓喜の輪が広がったため、ボールはどこにいったか分からないまま戻ってこなかったという。「良くも悪くもボールの収集はしないので、全くこだわりがない。『俺、初勝利のボールないからね』ってネタで話してるだけですね」。伊東勤監督の就任初勝利でもあり「仮に返ってきたとしても、譲ってもいいというぐらいの感覚でした」と回顧した。

 初勝利のボールはなくても構わない。代わりに大きな自信を手にしていた。「この年は『キャッチャー目掛けて、思いっきり腕を振ってスライダーを投げ続ける』っていうことを考えていた。それを最初の打者相手にできたというのが、飛躍につながったのかなと思います」。中継ぎの一角に食い込み、主に左打者キラーとして自己最多51試合に登板。2勝1敗20ホールド、防御率3.38を記録した

「『野球をやっている』って感覚を久しぶりに味わいました。やれることをやるっていうだけだったので、頭の中もクリアになったし。それまで『今年駄目だったら来年は野球できないのかな』とかいろいろ考えたりしましたけど、そんなことも考えることもなく、真ん中にスライダーを投げ続けるだけだから。抑えても、打たれても『俺は投げ続けるんだ』って、やることは変わらない。原点に戻った感じで、結果もついてきたので、凄く楽しかったですね」

 この年、服部氏の被本塁打はわずかに1本。ロッテの3位でのクライマックスシリーズ(CS)進出に大きく貢献した。ファイナルシリーズで楽天に屈したが、服部氏も3試合に登板して存在感を示した。ようやくかなえたプロでの飛躍。充実した1年であった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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