発症した胃潰瘍…忘れぬ五輪の重圧 苦しかった恩師への猛バッシング「迷惑かけた」

元中日の荒木雅博氏は日本代表として2008年北京五輪でプレー
日の丸の重圧と闘ったが……。元中日内野手の荒木雅博氏(野球評論家)は野球日本代表も経験した。星野仙一監督が率いた2008年の北京五輪に出場。8月23日の米国との3位決定戦では「2番・二塁」で出場して先制本塁打も放ったが、試合に敗れ、メダルを獲得できなかった。闘将がバッシングされ「やっているのは自分たちですからね。責任を感じました」。大会後に胃潰瘍になったという。
五輪イヤーだった2008年、プロ13年目の荒木氏は前半戦終了時点で打率.252、3本塁打、17打点、26盗塁。そこまでに3安打以上の猛打賞を9度マークするなど状態は上々だった。6月21日のロッテ戦(ナゴヤドーム)では史上250人目の通算1000安打を達成。7月15日の巨人戦(旭川)では巨人先発の木佐貫洋投手から先頭打者アーチとなる3号本塁打を放ったが、これは日頃の研究の成果でもあった。
「(当時巨人捕手だった)阿部(慎之助)監督はピッチャーによっては真っ直ぐの時、コースに構えるけど、変化球の時は、動かない時があったんです。で、あのホームランの時はカサカサって(阿部捕手の)動く音が聞こえたんですよ。ということは真っ直ぐじゃないか、と思って、思いっきり空振りでもいいから、振ってみたら入っちゃったんです」。打席で聞き耳を立てていたという。
「いろんなところにアンテナを張っておかないと僕らみたいなバッターは打てないんですよ。どうやって打つかをいつも考えているから。それがね、正解じゃなくてもいいんです。何でもいいからヒントになるものがないかなって探しているんでね。あの時は旭川の砂の質かもしれません。東京ドームでそれを感じたことがなかったのでね。ほかにもキャッチャーの影とかも見たりしていましたよ。後ろを見るわけにはいかないし、工夫なんです。常に何か考えていました」
選手間投票で選抜されてオールスターゲームにも出場。8月1日の第2戦(横浜)では全セの「9番二塁」で出て、4打数3安打3打点でセの勝利(11-6)に貢献してMVPも獲得した。「ラッキーでしたね。何かいい感じで打っていたんでしょうね」。この後が北京五輪だった。8月2日には星野ジャパンの練習に参加した。日本代表でも中日同様、背番号は「2」。8日はパ・リーグ選抜、9日はセ・リーグ選抜との強化試合を経て、北京へ向かった。
3位決定戦でも敗れてメダルを逃し…帰国後に崩した体調
当初、控えだった荒木氏だが、8月16日の1次リーグ4戦目の韓国戦以降の試合にはすべて「2番・二塁」でスタメン起用された。「怪我したんですよ。剛(西岡)と宗(川崎宗則)が2人とも。自分の中では代走要員で行ったのに。スタメンで出るなんて頭にもなかったんですけどね」。日本は1次リーグ4勝3敗で決勝トーナメントに進出したが、8月22日の準決勝で韓国に2-6で負け、8月23日の3位決定戦でも米国に4-8で敗れ、メダルを逃した。
荒木氏は3位決定戦の米国戦の初回に先制本塁打を放った。「あの後、(日本代表捕手の)矢野(輝弘)さんに『俺、何か知らんけど、お前がホームランを打ちそうって思ったんだよ』と言われました。なんでかわかりませんけど、矢野さんは何か感じたんでしょうね。それは覚えていますね」。チームも大盛り上がりだったが、勝利はつかめなかった。期待された金メダルどころか、メダルなしというまさかの結果に星野監督へのバッシングもすさまじかった。
「やっているのは自分たちですからね。責任を感じました。星野さんにも迷惑をかけたわけだし……」。大会中は無我夢中でプレーしたが、帰国後、体調を崩したという。「戻って次の日の試合(8月25日の巨人戦、東京ドーム)に出たんですけど、そこから胃がおかしくなって……」。胃潰瘍だった。「北京でコーヒーを飲み過ぎたのもあったかもしれませんが、やっぱりプレッシャー的なものが大きかったと思います」。
2008年の最終成績は打率.243、4本塁打、28打点、32盗塁。五輪後は球団初の5年連続30盗塁を達成したり、9月28日の巨人戦(ナゴヤドーム)では0-0の8回裏に巨人先発・上原浩治投手から決勝4号ソロを放つなどの活躍もあったが、やはり北京の悔しさは大きかったことだろう。「まぁ、今となったら、すべてがいい経験ですけどね」と話した上で「今の侍で行く人たちってあれだけ結果を残して凄いなって思います。リスペクトしますわ、ホント」と口にした。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)