中日監督に閉ざされた“道”「逃げたかった」 名手が覚えた恐怖…許されなかった安住

元中日の荒木雅博氏&井端弘和の「アライバ」コンビ
元中日の名内野手・荒木雅博氏(野球評論家)はプロ15年目の2010年、二塁手から遊撃手にポジションを変えた。落合博満監督の意向によるもので、井端弘和内野手との“アライバ二遊間コンビ”が逆になった。慣れによる足の動きなどを懸念されてのことで「ホントは逃げたかったですよ」と苦笑するが、それも練習でカバーしてやり切った。オレ流指揮官にうまく乗せられた形だが、この年は大嫌いだった右腕も“落合アドバイス”で攻略できたという。
アライバコンビの守備位置入れ替えは、荒木氏がプロ14年目の2009年に実現予定だったが、この時は自身の開幕前の足の負傷と井端氏の目の不調で公式戦では先送りになった。「あれは井端さんもそうですけど、僕の怪我もあったんですよね。コンバートって怪我がつきものだなってその時に思いましたね。やっぱり(二塁とは)違う動きになってくるとね。相当、練習を積んでいかないと、って思いましたね」。
2009年は二塁を“続行”し、打率.270、2本塁打、38打点、37盗塁。ゴールデン・グラブ賞は6年連続で受賞した。だが、落合監督は2人のコンバートを諦めていなかった。2010年シーズンで再チャレンジとなった。荒木氏は足を痛めて出遅れたが、開幕9試合目の4月4日の阪神戦(ナゴヤドーム)に代打で出場して、そのまま遊撃の守りについた。井端氏は開幕当初、遊撃だったが、開幕6試合目から二塁を守っており、ついにアライバコンバートが成立した。
荒木氏はプロ2年目の1997年、2軍でヘッドスライディングをした際に右肩を痛めた。それ以来、右肩痛につきまとわれており、遊撃からのスローイングへの影響も心配されたが、実はこの時期はそれも少し改善されていたという。「30歳を過ぎたくらいからオフに水泳をやったんです。クロールで肩甲骨を動かすようにやると、最初バリバリバリって聞こえるような感じがしたんですけど、1日2時間くらいやっていたら、次の年から肩の痛みが消えたんです」。
これで送球が楽になった。「肩甲骨周りが固まっていたんだなぁって話にもなって、それからは時間があったら水泳をやるようにしました」。遊撃コンバートの際は「それより、バウンドを合わせられなかったです」と話す。「セカンドでは無理していかなくても1テンポ待って捕ればアウトになるから、(同じように)やっていたのをショートでは全部セーフになるんですよ。今度はまた別の問題が出てきました」。落合監督はそんな足の動きを見て、敢えて遊撃に挑戦させたのかもしれない。

二塁から遊撃挑戦も「居心地のいいところで野球をやりたかった」
「慣れってすごいな、俺ってこれだけセカンドが染みついていたんだなと思いましたね」。現在、アマチュア指導を行っている荒木氏は「できることをしっかりと、基本的なことを常にやっていった方が将来、苦労するのは減るから、という話はします」という。「アウトをとっていてもちょっと軽い感じでやっていると、今のうちにやっとけよ、そんな投げ方をしていると苦労するぞ、もっと足を使えるところを使っておけよって思うんですよね」。
苦しみながらも荒木氏は持ち前の練習量でカバーした。このコンバートで遊撃を守ったのは2010年と2011年だが「一応、2年優勝しましたもんね。よう優勝したと思います」と微笑む。そして「逃げたかったですよ。ホントは自分の居心地のいいところで野球をやりたかったですよ。でも落合さんが逃げ道を作らなかった。すごく我慢されたと思いますよ。だって僕が何かやるたびに、叩かれるのは落合さんなんですから」。それもまた貴重な体験だったし、勉強にもなったようだ。
落合監督とは、いろんな会話をしてきた荒木氏だが、さらに印象深いものとして、こんなことも明かす。「前の日に(横浜投手の)三浦(大輔)さんから4安打して次の日(の相手)に4タコを食らった時『ちょっと来い。何が違うんだ、昨日と今日とで』と聞かれたので、僕、平気で『(投手の)コントロールっすね。ちょっと怖いです』って答えたんです。そしたら『お前にひとつ教えてやる。5回までは(ボールは)抜けねぇ。握力がある間は抜けないから打ちに行って大丈夫』って」。
そんな“落合アドバイス”で見事に結果を出したのが2010年7月11日の巨人戦(ナゴヤドーム)だった。相手先発はスリークォーター気味のフォームのウィルヒン・オビスポ投手。荒れ球でも知られた投手で荒木氏は「サイドスローとか、そういうピッチャーが大嫌いで怖かったんです。オビスポもそうだったんですけど(その日は)ホームランを含めて3本打ちましたもんね」。1番打者として遊撃で出場して4打数3安打1打点。中日はオビスポを4回でKOして5-3で勝利した。
「でも、あの話はどうだったのかなぁ。たぶん嘘だったような気がするなぁ。うまく(落合監督に)転がされていたような……。僕ね、単純なんですよ。握力がある間は大丈夫なんだって思ったら、ああ、そうか、これまで全部怖いと思っていたなぁ、もうちょっと早く教えてもらえますかって思いましたもんね。(そんな投手が相手先発の場合)5回以降はよけまくりましたけどね」。2004年から2011年までの中日・落合監督体制。思い出は尽きない。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)