毎日殴られ練習開始「あってはならない」 地獄の中学生活…“全否定”もできない理由

ヤクルト、楽天でプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】
ヤクルト、楽天でプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】

元ヤクルトの鎌田祐哉氏、卒業アルバムに書いた「夢」

 ヤクルト、楽天とNPBで11年間プレーし、2012年には台湾プロ野球の統一ライオンズで最多勝のタイトルを獲得した鎌田祐哉氏は現在、都内でサラリーマン生活を送っている。2012年限りで現役を引退し、不動産業界に転身。プロ野球選手時代とは全く違った忙しい日々を過ごす。現役時代、最速151キロを誇る投手として活躍した右腕が、幼少期を過ごしたのは秋田県。野球少年ではあったが、まだ見ぬプロ野球界は遠い世界でもあった。

 下新城小に通っていた鎌田氏が野球を始めたのは3年生の時。野球、サッカー、バスケットボールの選択肢があった中、同学年の仲が良かった友人たちで「みんなでサッカー部に入ろうか」と話していたという。そんな中、部活動を決めるタイミングが迫ったある日、サッカー部と同じグラウンドで練習をしていた野球部の左翼手が、目の前でダイビングキャッチをした姿に胸が躍った。

「学校帰りにたまたま見たというか、その時ユニホームが汚れている姿を見て『格好いいな』って。『ああやって頑張ったら親に褒められるかも』って思って野球部に入りました」。希望のポジションは遊撃手。小6時には身長が170センチ近くまで伸び、エース兼内野手としてプレーした。

 1学年下には幼なじみで近所に住むヤクルト・石川雅規投手が在籍。今年4月、プロ野球新記録となる24年連続勝利を挙げた左腕については「7歳の頃から知ってますからね。中学も同じ野球部で、ユニホームにモットーや目標を書くんですが、僕と同じ文字を書いてくれていましたし、結構、慕ってくれていたと思います。今では、僕の方が『石川さん!』って呼ぶ感じですよね」。そう冗談めかすが、小・中学の後輩と、プロ野球でも同僚となるとは夢にも思っていない時期である。

 小学校の卒業アルバムに書いたのは「夢はプロ野球選手」という文字と、背番号6のユニホームを着た自分の姿。「淡い目標ではプロ野球選手というものがあったと思うんですけど、野球をやっている子どもってみんなそうじゃないですか? 実際はよく分かっていなかったです。投手より内野手が好きでしたね」。将来の明確なビジョンがあったわけではなかった。

 秋田北中に進むと軟式野球部に入部。「丸刈りが嫌でしたけど、一大決心して入部しました」。1年時は地獄のような日々を送ることになる。「とにかく基礎練習が凄かったですね。指導、しごきも毎日のようにありましたし。そんな時代でしたね」。

「乗り越えてしまったので、いい意味で根性がある」

 入部直後の練習は超ハードだった。授業が終わると1年生は走って部室に集合し、理由もなく先輩に殴られたという。「それから山林のランニングコースを2キロ走って、帰ってきた順に松の木を背に空気椅子です。全員が戻ってきたら、1列に並んで手をつないで『イチ、ニッ、サン! ニイ、ニッ、サン!』って声を出しながらスクワット1000回とかやって、それが終わったら空気椅子です」。なかなか壮絶だ。

 それで終わりではない。「その後また山林のコースを3キロ走って、戻ってきたら空気椅子。終わったら声を出しながらバーピージャンプを500回やって、また空気椅子。次に腹筋をして、最後は坂ダッシュです。いつ終わるか分からない坂ダッシュ。そして最後はグラウンドに行って声出しするんです。『声が小さい!』って、後ろから蹴られることもありましたね。そういう日々でした」。

 耐え難い“しごき”が続く中、備わっていた野球の才能が身を助けることになる。3年生が引退し、新チームが発足してまもなくした頃の練習中。「あいつ小学校の時、結構野球うまかったよ」。同じ小学校の先輩の発言で急きょグラウンドに呼ばれてシート打撃で打席に立った。先輩左腕から左越えにはじき返し「『明日からグラウンドで練習参加しろ』みたいになったんです。同期より少し先に地獄の練習を脱出した感じになりました」と振り返る。

 厳しい練習を重ねたが、チームは強豪というほどではなかったという。「中総体は1回戦で負けましたし、僕は『3番・三塁』で打球は1回しか飛んできませんでした。ヒットも打てなかったと思います」。

 理不尽な指導については「昔も今も絶対にあってはならないこと」とした上で「僕は乗り越えてしまったので、いい意味で根性がある。くじけないというか、ストレスに強いとは思いますね」と自身への影響を説明。「僕みたいな経験は必要ないですが、何かしらの厳しい環境は体験していた方がいいのかなとは思います。社会は厳しいと思いますし、僕自身、プロ野球を引退した後はそれまでと全く違うストレス環境に身を置くことになりましたが、乗り越えることができました」。過酷な環境を耐え抜いた経験が、球界を離れた現在のビジネスマンとしての強さにつながっているのかもしれない。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

RECOMMEND

KEYWORD

CATEGORY