歓喜直後…古田敦也から“叱咤”「そんなに大事か?」 まさか一言にあった信頼と親心

ヤクルト時代の古田敦也氏(左)と鎌田祐哉氏【写真提供:産経新聞社】
ヤクルト時代の古田敦也氏(左)と鎌田祐哉氏【写真提供:産経新聞社】

元ヤクルトの鎌田祐哉氏…2003年にプロ初完封

 2012年に台湾プロ野球の統一ライオンズで最多勝など3つのタイトルを獲得した鎌田祐哉氏は、ヤクルトを逆指名してプロ入り。1年目の2001年は中継ぎの一員として開幕1軍入りし、9月にはプロ初先発初勝利を挙げた。チームのセ・リーグ4年ぶり優勝と日本一も経験。プロ野球人生を順調にスタートさせ、2年目は3勝、3年目が6勝と順調にステップアップしていった。3年目は6勝中2勝が完封。ただ、2度目の完封勝利の試合後に、バッテリーを組む古田敦也捕手から怒られたことがあったという。

 2年目の飛躍を期し、早大時代と同じく筋力トレーニングで徹底的に体を鍛えて臨んだ2002年の春季キャンプ。ここで思わぬ事態に直面する。「かなり鍛えました。ボールはあまり投げず、体を鍛えました。それが裏目に出ましたね」。異変はブルペンで感じた。自分が思うように体が動かなかったのだ。

「僕は常にボールを投げておかないと、肩ができるのが遅いタイプだということを、その時に初めて知りました。大学時代は長いオフがないので感じなかったんですが、少し投げれば肩がすぐできる(スムーズに動く)と思っていたんです。体を鍛えることを主としてあまり投げずにキャンプに入ったら、思うように投げられないんですよ。全然、肩ができなくて、アピールもできずに評価も下がって、凄く失敗したなと思いましたね」

 11試合で3勝2敗、防御率3.78。登板数、勝利数は増えたものの1年目0.59だった防御率は悪化するなど物足りない内容だった。同年は1学年下で同郷・秋田の幼なじみである石川雅規投手が自由獲得枠で入団し、12勝を挙げて新人王を獲得。これが発奮材料となったのは言うまでもない。同じ失敗を繰り返さぬよう、オフは筋トレをしつつ、投球練習も怠らなかったのが3年目の活躍につながる。

 2003年は4月6日の阪神戦(大阪ドーム=現・京セラドーム)で先発したが、以降は中継ぎに。6月22日の横浜戦(神宮)で先発復帰すると無四球でプロ初完封を飾り、先発ローテーションの座をつかみ取った。そして8月26日の中日戦(同)で再び快投。7回までゼロを並べ、ベンチに戻ると伊東昭光投手コーチから「どうする?」と声をかけられた。「そう言われれば『行きます』って答えますよね、若手ですし」。そのまま続投して2度目の完封勝利を挙げた。ところが……。

ヤクルト、楽天などでプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】
ヤクルト、楽天などでプレーした鎌田祐哉氏【写真:尾辻剛】

6勝7敗、防御率3.21…シーズン2完封は両リーグトップタイ

 歓喜の試合後、古田に呼ばれて叱責されたのだ。「そんなに完封が大事か? 次の登板間隔も考えてしっかり投げろ。プロはそういうところだ」。シーズン終盤、チームは優勝を争っており、鎌田氏は次回登板が中4日で8月31日の首位・阪神戦(甲子園)に決まっていたのである。登板間隔が短くなるため、早めに降板して次回へ余力を残しておいてほしいとの思いが古田にはあったようである。

 伊東コーチにも次回登板を見越して降板を促す意図があったはずだが、投手として完封勝利は一つの勲章。さらに当時24歳の右腕はスタミナも十分にあった。だからこそ意思を確認したのだろう。事前に早めに降板する可能性を示してもらっていれば、違う選択をしていたかもしれないが、まだ入団3年目だった鎌田氏は「その時は、まだそんな考えはなかったです。コーチに『どうする?』って聞かれたら『もういいです』とは言えないですよね」と複雑な心境を吐露した。

 結果的に中4日の阪神戦は敗戦投手。この年、ヤクルトは巨人と並んで3位に終わり、阪神が2位・中日に14.5ゲーム差をつけて優勝したことも、悔しい記憶として刻まれている。鎌田氏は中継ぎを含めて30試合に登板し、6勝7敗、防御率3.21を記録した。

 先発として一定の手応えを得た1年。シーズン序盤の中継ぎについては「短いイニングで、147、148キロが出ていたので、短いイニングで腕をしっかり振れたのが先発に生きたと思います。長いイニングを意識すると無意識にセーブしながら投げてしまって、切れがなかったりってことも多かったと思うので」という。球速については「今はどの投手も150キロを投げますけど、当時は147、148(キロ)出ていたら結構速い方でしたから」と本格派右腕の矜持をのぞかせた。

 記録面でいえば2003年の2完封は、西武・松坂大輔投手らと並んで両リーグトップ。「今、思えば良かった部分もありますよ。完封って記録に残りますし。松坂大輔と並んでトップタイなんて自慢になりますね。懐かしいな」。2度目の完封は苦くもあり、誇らしくもあった。

(尾辻剛 / Go Otsuji)

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