野球歴1年で留学…NPB指名漏れなら「野球を辞めようと」 退路断って叶えたプロ入り

西武・林冠臣【写真:宮脇広久】
西武・林冠臣【写真:宮脇広久】

台湾出身の西武ドラ4・林「絶対日本でプロになると思って」

 異国で夢を叶えたルーキーが1軍デビューを狙う。台湾出身の西武・林冠臣(リン・クァンチェン)外野手は甲子園でプレーする高校球児に憧れ、15歳で単身日本に留学。昨年のドラフト会議で4位指名を受け日本経済大から入団した。

 野球を始めたのは中学2年生の時。周りの友達が野球をやっていて、それを見て「楽しそうだな」と思い中学の野球部に入部した。高校は宮崎・日南学園高に進学。野球を始めてわずか1年だったが、テレビで見た日本の高校野球に憧れ、留学を決断した。

「観客がたくさんいて、すごく盛り上がっている高校野球のニュースを見て、自分も甲子園でプレーしたいと思っていました。中学校が日本の高校と繋がりがあり、親も『せっかくのチャンスなんだから、日本で野球をやってみたら』と背中を押してくれました」

 来日当初は言葉と食事に苦労したが、日本語は生活していく中で自然と覚え、苦手だった納豆も食べられるようになった。「食べ物も美味しいし、街もきれい。冬が寒いのも苦手じゃないです。日本が好きだし、自分に合っています」。高校には投手として入学したが、2年時に肘を手術し、野手に転向。憧れの甲子園を野手として目指したが、コロナ禍の影響で3年夏の大会は中止。聖地に立つことはできなかった。卒業後は日本経済大に進学。4年春のリーグ戦で打率.429、4本塁打を記録し、プロ入りを意識するようになった。

「3年生までは成績も良くなかったのでプロは考えていなかったんですけど、4年生の時に成績を残せるようになって、プロに行きたいと思うようになりました。仲のいい友達の弟、王柏傑(ワン・ボージェ)が、台鋼ホークス(CPBL)からドラフト1位指名されたのも刺激になりました。日本でプロ入りできなかったら、野球を辞めようと思っていました。ずっと日本にいるので、台湾に帰ったら日本で7年間頑張った意味がなくなるような気がしました。最後の1年間は、絶対日本でプロになると思ってやっていました」

2軍で打率.314…憧れはヤンキースのジャッジ

 退路を断つ覚悟で臨んだ昨秋のドラフト。西武から指名を受け、見事にその夢を叶え日本でのプロ野球人生をスタートさせた。今シーズン、まだ1軍での出場はないが、2軍では21日時点で打率.314をマークしている。「ルーキーなので、思い切りよく、来た球を全力で振っているだけです。これから研究もされてくると思うので、そこにどう対応していくかが課題です」。将来的には、本塁打王のタイトルを取ることが目標だ。

「中学2年生の時、学校の代表に選ばれて、約1か月間アメリカの野球教室に参加しました。その時に現地で見た、ヤンキースのアーロン・ジャッジ選手に憧れています。軽く振っているように見えるんですけど、打球がめちゃくちゃ飛んでいて、衝撃でした。自分もそういうバッターになりたいです」

 身長195センチ、体重105キロの体格。「身体が大きいので、当たったら飛びます」。6月12日のイースタン・ヤクルト戦では、公式戦初本塁打となる豪快な2ランを放った。パワーが自慢の22歳。次は1軍の舞台でアーチをかける。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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