鼻血に打撲…野球人生の始まり、母には泣き言「勘弁してくれ」 ドラ1右腕の原点

南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】
南海、広島などでプレーした加藤伸一氏【写真:山口真司】

加藤伸一氏は鳥取県倉吉市出身、1983年南海ドラフト1位右腕

 1983年南海ドラフト1位右腕、鷹のイケメンエースとしても知られたのが加藤伸一氏だ。鳥取・倉吉北での公式戦登板がわずか3試合でプロから注目された逸材は若い時期から活躍。故障とも闘いながら南海・ダイエー、広島、オリックス、近鉄でプレーして通算92勝をマークした。引退後はソフトバンク投手コーチも務め、現在は社会人野球・KMGホールディングス硬式野球部監督として辣腕を振るう。その野球人生は鼻血、打撲……。「もう勘弁して」から始まった。

 高校時代は不祥事続きで対外試合禁止がほとんど。プロでは1年目から活躍した一方で、右肩痛など故障に悩まされた。加藤氏の野球人生はまさに波瀾万丈だ。21年間のプロ選手生活では、球団身売りも経験したし、戦力外からの復活も成し遂げた。さらにはFA移籍に、球団消滅まで……。1965年7月19日生まれ、鳥取県倉吉市出身。野球のスタートは4歳上の兄とのキャッチボールだった。「僕が保育園に行くくらいかな。家の勝手口の裏でね」。

 自分からのアクションではなく「やらされた」と笑う。「相手が他にいなかったからでしょうね。もう嫌で嫌でね。兄に命じられてキャッチャーをさせられて……。幼児期に受けられるわけがないじゃないですか。それも硬球。母親が理髪店を営んでいたんですが、たまたま近くに倉吉北のグラウンドがあって、そこからよく硬球が飛んでくるわけですよ。軟球とか買うような裕福な家じゃなかったし、その硬球でキャッチボールをしていたんです」。

 いきなりの硬球。「痛いじゃないですか。よく鼻血を出したり、打撲しながら母親に“もう勘弁してくれ、兄貴の相手はできない”って感じで言っていましたよ」と話すが、時間経過とともに状況は変わったそうだ。「そこから引っ越ししたんですけど、嫌々、キャッチボールをさせられているうちに、だんだん上手になっていって、気がつけば、その町の一番上手な野球少年になっていたという感じでしたね」。

 倉吉市立小鴨小学校に通い、小学4年(1975年)から軟式野球チームに入った。「学校の部活の延長で4年生にならないと入れない地域だったんですが、まだユニホームもできていないチームでした。4年生の時、僕はセカンドで背番号4。背番号は家に持ち帰って、体育の時に着る白い体操服に縫ってもらいました。ズボンはトレパンでね。みんな一緒じゃないですよ。私服の人もいましたし、バラバラでした。それで大会に出ていました。もちろん弱かったですけどね」。

小6でエースとして市の大会優勝「僕のカーブがまぁ、打てなかったですよ」

 そのチームも変化していく。「僕が5年生になってユニホームができたんです。6年生の時はピッチャー。そんなにたくさんチームはなかったんですけど、倉吉市の大会で優勝しました」。エースだった加藤氏は三振の山を築いたという。「僕のカーブが(相手は)まぁ、打てなかったですよ。面白いようにみんなくるくると。あれがもう快感だったですね。よっぽど曲がっていたんだと思います。県大会は0-0でじゃんけんで負けましたけどね」と振り返った。

 どんどん野球にのめりこんだ。「テレビとか巨人戦しか映らないんですけど、他の球団にも興味が湧いて『プロ野球スナック』(のちのプロ野球チップス)についているカードを集めて、選手を覚えました。本屋では『野球教室』とかを買っていました。いろんなチームの選手の写真とかも載っていて面白かった。名鑑とかもね。帽子もみんな巨人とか阪神だったけど、野球好きの僕としては阪急や太平洋とかのヤツを、『これ、知っているか』って感じで被っていました」。

 憧れたのは阪神の主砲・田淵幸一捕手。「阪急と阪神のオープン戦が倉吉であったんですよ。で、見に行ったんです。その時、田淵さんがホームランを打ったのかな。大きくて、かっこよくてね」。田淵氏はその後、西武に移籍して1984年に引退、1990年から1992年まで福岡ダイエーの監督を務めた。当時ホークス戦士の加藤氏は「(故障して)何の貢献もできなかったので」と悔しそうにも話したが、その時は感慨深い“再会”でもあったわけだ。

「どこの球団が、というよりもプロ野球のファンでしたね。パ・リーグにも興味はありました。でも南海の選手は、ドラフトにかかるまで、言うほど知っていたわけではないんですけどね」。倉吉市立西中では迷うことなく軟式野球部に入部した。幼児期に嫌々やりはじめた野球は、加藤氏にとって、もはや欠かせないものになっていった。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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